30.06.10
年々
歳を重ねるにつれて、スイカを嫌いになっている。昔は何切れも食べたものだが、数年前から一切れで十分になり、今年はついに一切れさえも食べられなくなった。食べてる途中から気持ち悪くなる。別にアレルギーとかそういうことではないのだが、多分味覚が変わったのだろう。草臭さが気になって仕方ない。しかし、思い返してみると、僕はもともとスイカを好きで食べていたわけではなかった気がする。出されたから食べていただけなのだろう。ここに来てようやく自分の味覚に委ねて好き嫌いがわかるようになってきたらしい。遅すぎる。スイカの代わりに台頭してきたのがパイナツプルであり、これはもう丸ごと一個食べてもまだ足りない。
投稿者 tomoyuki : 10:26
29.06.10
岡田監督
今回のワールドカップ、始まる前は日本のメンバーをほとんど誰も知らないということもあり、興味もそそられず、テンションも駄々下がりだった。それでもやはり自分は日本人なので、ちょっとは気になっていたのであるが、大会開催直前に韓国にボロ負けして、なぜかものすごい怒りに駆られた。韓国のほうが戦い方が国際的だし、多分韓国と5連戦したら日本は負け越す可能性が高いとは思うのだが、まさか2-0で負けるとは思っておらず、その怒りは選手にではなく、岡田監督に向いた。ヤホーなどの記事を見ると、僕のように岡田監督に怒りを表している日本人はかなり多いようだった。そんなこともあり、僕は今回日本チームを応援しないと心に決めていた。しかし、終わってみれば、そんな僕たちのネガティヴ予想を裏切り、日本はベスト16。応援しないと決めておきながら、毎回ネットで試合結果を検索してしまい、ダイジェストを見て心が躍ってしまった。んで、いつの間にか日本を応援していた。そして、岡田監督に対する評価もぐんぐん上がっていった。ヤホーには、「岡田監督ごめんなさい」なんて記事も載っていて、ここでもまた、僕のように手のひらを返して岡田監督最高、なんて騒いでる日本人が多いのを知った。これは無能なことである。たとえそのことを謝罪しても、また同じことを繰り返すのが目に見える。
「これだけ(自分への評価が)変わるということは、また(悪い方にも)変わるということ」と言っていた岡田監督はかっこいい。僕たちはかっこ悪い。
日本の政治でも似たようなことがあるようで、自分たちで選んだトップの支持率がたった数ヵ月後に急落するというのは、国民のほうもえらい無責任なんだな、と思う。そもそもたった数ヶ月でがらっと変わるような小さな仕事なんてないだろう、国の政治って。あまりにも気が短い。党は自分たちで選んだが、首相を選んだのは自分たちではない、なんて言っているが、首相が誰になったところで、国民自身の無責任さは変わらないんじゃないか。
イタリアはもっと酷くて、そもそも政党を選ぶことさえ国民には出来ないようなシステムになっている。
投稿者 tomoyuki : 10:34
21.06.09
イタリアvsブラジル

コンフェデレーションカップってものが一体どんな大会なのかもわからないまま見ていたのだが、とにかくブラジルは強い。ブラジルが強いのかイタリアがパッとしないのかよくわからない。とりあえず、一人一人の動きが違いすぎる。ノリも違う。表情も違う。これはもうあれですよね、負けますよね。ブラジル人ったら、丸い物見たら無意識に足が伸びちゃうんですもの。
投稿者 tomoyuki : 11:19
20.06.09
たこ焼き王子

転がりはじめると止まらない。
投稿者 tomoyuki : 11:19
15.06.09
PhotoLog開設
PhotoLogを開設していただきました。
以降、写真はc2のほうにアップしていこうと思います。よろしくお願いいたします。
投稿者 tomoyuki : 16:31
20.02.09
受け入れがたい言葉。
先日、通勤バスのピチピチした学生たちのことを書いた。大体女子7:男子3くらいの割合で乗っているのだが、この女子たちのレヴェルがかなり高い(あたしの好みでの話ですけど)。
しかし、この女子たち、黙っていれば良いものを、バス内で友達に会った途端空いた口が塞がらないから始末が悪い(使い方違うけど)。ハリーポッターに出てくるみたいな結構かわいい女の子たちの口から出てくる言葉は、「○○○○○○○(直訳:我欲脱糞)」とか「○○○○○(直訳:糞カス)」とか「○○○(直訳:男性器)」とか「○○○○(直訳:女性器)」とか、とにかく酷い。それに慣れ親しんでいるはずのイタリア人の大人たちもさすがに耐え難いらしく、顔を顰めながらその子達のことを見ていたりする。僕も、せっかく上がったテンションが、その言葉を聞くと同時にしゅるしゅるしゅるーとあっという間に萎んでいくのである。天は二物を与えないとはこのことか。若者よ、公共の場ではお口のチャックを閉めていなさい。
投稿者 tomoyuki : 08:50
13.02.09
受け入れがたい匂い。
先日、知人の韓国人にキムチをいただいた。それまでにも何度かいただいたことはあったのだが、今回は受け取った瞬間に「これはやばい」と思った。
外を歩いていてもどんどん匂いが鼻に届く。そこから家に帰るまでにはバスに乗らなければならず、ちょっと迷ったのだが、まあもともと臭いバスだし問題ないか、と思い乗ることにした。始めのほうはバスの中心辺りに立っていたのだが、もうこの時点から周りの人間が何か不審な顔をしだしてた。ちょっとその感じに耐え切れず、一番後ろの端の席に座って難を逃れようと思ったのだが、これが逆効果となった。座った時点では周りには誰もおらず、安心しきっていたのだが、家に近づくにつれどんどん乗客が乗り込んできてしまい、途中から僕の周りのすべての席が埋まってしまうことになった。僕は慌ててキムチの入った紙袋を足元の見えにくい場所に隠すように置いた。僕の二列前に座っていた女性は匂いの発信源を特定できないようで、一度席から立ち上がり、自分の座っている椅子に何か付着しるのではないかと確認していた。一つ前の席に座ったこれまた女性は、何度も僕のほうを振り返ってきた(絶対に目を合わせなかったけれども)。僕の隣に座っていたのは若い外国籍のおねえちゃん二人組みで(なんでこんな日に限って周りを女性に囲まれているのか)、このおねえちゃんたちは匂いの発信源が僕であることに確信をいだいているようで、何かこそこそと話しては、こっちを睨んできた。バスの中心にいたら誰にも匂いの元が僕であることがばれなかっただろうに(ばれるか)、今は思いっきりバスの端に座ってしまっているもんで、ばればれな状態である。しかし僕は窓の外に目を向けたまま、絶対に周りの人間と目を合わさなかった。合わした瞬間に「あんた臭いわよ」とか言われそうな気がして、そんなこと言われたら一生立ち直れないと思った。そのうち、隣のおねえちゃん二人組みのうちの一人がバッグの中から香水を出し、周りに噴きかけ始めた。2分ほど、僕の周りはその香水の香りで満ち満ちたのだが(香水を噴きかけられた時には軽くショックだったが、その一方で、ナイス、とも思った)、3分後には完全にキムチの匂いが勝っていた。幸い(?)僕の周りの乗客はあまり入れ替わらなかったので、多くの人に非難の目を向けられることにはならなかったのだが、そのぶん少人数に恐ろしく深い(不快)非難の眼で睨まれることとなった。ってか、みんなおそらくキムチが匂うのではなくて、僕自身が臭っていると思っていただろう。ものすごく恥ずかしかった。
いまだかつてないくらい時間が長く感じられたのだが、ようやく家に近づいた。しかし、そこから立ちたくなかった。紙袋を僕の足元から取り出したくなかった。いっそのことその紙袋を置きっぱなしにして走り去ってやろうかとも思った。自分がいつも降りる停留所で降りたくなかった。「あの臭い奴はこの辺に住んでいる」と知られるのがものすごく恥ずかしかった。一度最終停留所まで行き(家の三つ先が最終)、みんなが降りるのを待ってから降りて、歩いて戻ってこようかとも考えたが、さすがにそれはめんどいと思い、乗客のきつい視線を受けながらバスを降りて、僕から携帯を盗んだアイツくらい足早に家に戻った。
まあ匂いは残念ながらこの国では受け入れてもらえませんが、とても美味しいキムチでございました。
投稿者 tomoyuki : 14:52
12.02.09
Eluanaの死から
Eluanaが亡くなった日からずっと、イタリアのテレビでは安楽死・尊厳死に対する法律をどうするかという話題があがっている。僕もどうなるのか行方を見たいのだが、政治家の使う単語はあまりにも難しすぎて、さっぱりどうなっているのかわからない。もう少し優しく説明できる政治家はいないのだろうか。
Eluanaの葬儀が行われ、そこにはEluanaの両親は参列しなかった。それに対して「なんてかわいそうなEluana。死ぬ時も死んだ後も一人ぼっち」みたいな記事を書いている新聞が何紙かあったのだが、参列できない方向にもっていったのは誰でもないあなた方である。
投稿者 tomoyuki : 14:52
10.02.09
Eluanaの死
Eluana Englaroが昨日午後8時10分に、栄養と水分を断ったことによる心筋梗塞で亡くなった。
「彼女は逝きました。今は何も言いたくありません。今はただ一人でいたいです。私はこれまですべてを一人でやってきました。そして、一人でこのことを終わらせたい。私のことは心配しないでください。唯一お願いしたいことは、私を探さないで欲しいということです」Beppino Englaro(Eluanaの父)
「Eluanaのために祈りましょう。彼女を死に至らしめた者たちが行ったすべての事を神がお赦しくださいますように。人の手を介して彼女が死んだのであるならば、我々はそれを犯罪と見なします」Javier Lozano Barragan(ローマ法王庁)
Eluanaが植物状態になってから4年後の1996年から、Eluanaの治療を拒否することによる安楽死は認められるべき(イタリアでは家族が治療を拒否する権利が認められている〕だとして国に対して主張を続けてきたEluanaの父親が送った投書を完全に無視し、世論のこの問題に対するテンションが最高潮になった時点で突然、さも自分はずっと前からこの問題に興味を示してきた、生きている人間を死なせるわけにはいかないと、マジョリティを代表するような立場を取り始めた首相のコメントは書く必要がない。今回のことも、結局国会では右と左がお互いにお互いを非難するだけのお定まりの状態となっている。Eluanaの延命措置停止の差し止めのための緊急法案審議が行われている最中にEluanaの死が伝えられ、1分間の見かけだけの黙祷が捧げられるや否や、国会内では、「殺人者!」という怒号が飛び交った。
「今はEluanaの家族、そしてその近しい者たちの苦しみを、共に深く分かち合う時です」Giorgio Napolitano(イタリア大統領)
昨年、ようやく最高裁の判決により延命装置停止が認められたのだが、それを完全に無効化する形で2月7日、首相お得意の(延命装置停止を禁止するための)緊急政令が閣議で決められた。しかし、大統領が政令は違憲であるとして署名を拒否。この大統領が左派だったため、Eluanaの命とは全く関係のない方向に国会が動いていくこととなった。常にこうである。
投稿者 tomoyuki : 11:49
09.02.09
通勤バスの時間帯
僕の出勤時間は9時なのだが、いつも8時半には職場に到着している。その理由は、通勤バスの客層の違いによるものだ。9時に職場に着くには8時半、8時半に着くには8時のバスに乗れば良いわけだが、この30分の違いが結構大きい。先日、僕の使う92番のバスにはまともでない人間が多いと書いたが、朝の通勤時間はちょっと別である。帰りのバスに乗っている乗客の7割以上は外国人だったりするのだが(そのうち4割ほどが何をしているのか不明な人)、朝のバスは9割がイタリア人である。
今の家に引っ越して半年近くが経つが、始めは8時半くらいのバスに乗って、9時前後に職場についていた。その時間帯のバスに乗っているのはほとんどが社会人である。中には意欲的な顔をしている人もいるが、どちらかというと、人生に疲れたような顔をして「今日も仕事かよ、かったりぃなぁ」的な顔をしている人が多い。まあ、自分が稼いだお金の4割が税金として持っていかれてしまうこの国で働いていると、そういう顔になってしまうのはわからないでもない。特に自分が好きでやっているわけではない仕事に就いている人は尚更である。朝からイライラし、ぶつぶつ独り言を呟いている人もいたりする。まあ、わからないでもないが、せめてど晴天の月曜の朝くらい、清清しい顔をして前向きな気持ちで通勤して欲しいものである。そういう人を見ていた僕も、その空気に引っ張られて、テンションががーんと下がってしまうことが時々あった。
そんなある日、たまたま朝早く起きすぎてしまい、家にいてもやることがないので、いつもより30分ほど早いバスに乗ったことがあった。乗った瞬間、何か違和感を感じ、周りを見回してみると、乗客のほとんどがピチピチした学生たちではないか(それも女子が多い)。とりあえず人生楽しむことだけ考えてれば良い年頃の学生たちの顔は、30分後の社会人の顔と比べて格段に輝いていた。まあ、社会人バスに比べて恐ろしく騒がしい学生バスなのだが、それを許してしまえるほどの希望に満ちたその顔々を見ていると、「よーし、オジサン君達の未来のために頑張っちゃうぞー」みたいな気持ちになってテンションが鰻上りになるのである。
ってなわけで、それ以来、睡眠時間を削っても30分早く出勤することにしている。ありがとう、若者たちよ。
投稿者 tomoyuki : 11:49
07.02.09
Eluana Englaro
「植物状態女性、延命停止へ 伊で初、バチカン猛反発」 2009/02/04
17年前の交通事故で植物状態となったイタリア人女性(38)の延命措置が4日、近日中に停止されることになった。ANSA通信によると同国では初のケースで、ローマ法王庁(バチカン)は「安楽死に当たり認められない」と猛反発、女性の入院先で「抗議の祈り」を呼び掛けている。
女性はエルアナ・エングラロさん。父親が「意識が戻る可能性はなく、本人も生前、こうしたことがあれば人工的に生きることを拒否する意思を示していた」として栄養補給管を外すことを求め提訴。最高裁判所は昨年、訴えを認めた。
しかし、入院先の北部ミラノ近郊の病院が延命停止を拒否。父親らは別の病院を探し3日、エングラロさんは北東部ウディネの病院に移送された。同病院は2、3日中に栄養補給管を外すと表明。管が外されれば約2週間で絶命するという。 (共同)
「延命停止阻止で緊急政令 イタリア政府、植物状態女性に」 2009/02/07
【ウディネ(イタリア北東部)6日共同】17年前の交通事故で植物状態となったイタリア人女性、エルアナ・エングラロさん(38)の家族が回復の可能性はないとして延命措置の停止を求めていた問題で、同国政府は6日、同措置停止を阻止するための緊急政令を閣議決定した。ANSA通信が伝えた。
エングラロさんが入院している北東部ウディネの病院は同日、栄養補給管から送られる栄養と水分の量を減らす延命停止処置を開始したが、政令は医療従事者などに対し今後、栄養補給管を外すことを禁じている。
延命停止をめぐっては、ローマ法王庁(バチカン)が猛反発。イタリアでは世論を二分する騒ぎとなったが、中道右派ベルルスコーニ政権はバチカンや一部カトリック団体の意向に配慮、特定の事案に対する政令という異例の措置に出た。
病院は政令決定前、数日中に栄養管を完全に抜く方針を表明。その場合は、約2週間で絶命するという。
毎日のようにEluanaのニュースが流れ、各チャンネルが特集を組んでいる。とても難しい問題である。色々なことを言う人がいて、その一つ一つが理解可能である。何が正しいのか、僕には答えなど出せないことである。すべて間違っているかもしれないし、すべてが正しいことなのかもしれないし、これが正しい、これが間違っている、なんていうことを決めようとすることがそもそも間違っているのかもしれない。
「安楽死と過剰な医療についてのキリスト教会の見解」 Saunders, William
僕は神を信じた人間だが、それでもこの見解には疑問を感じるところがある。バチカンが一つの基準を定めるのは大切なことであると思うが、Eluanaへの栄養補給の停止をずっと求め、今それを実行に移しているEluanaの家族は、どんな報いも受ける覚悟があるのだと思う。17年である。僕には想像もできない苦しみの中を生きてきたのだと思う。そして、Eluanaが本当に亡くなるまで、そしてEluanaが本当に亡くなってから、一番苦しむのは他でもないEluanaとその家族である。そういう人達に対してクリスチャンががするべきことは、「抗議の祈り」の呼びかけではなく、Eluanaを含む家族の「救いを求める」祈りだろう。
イタリア政府のしていることは今回も的外れである。
永続的な植物状態にある人間は、生きているのではなく、生かされている。
「すべての苦しみから逃れるための安楽死」とあるが、死んでも死ななくても、家族、本人は相当な苦しみを受ける。たとえそれらの苦しみから逃れる決断をしたとしても、神のその人達に対する愛は何も変わらない。苦しみを強要することができる人間などいない。人間にベストを求める神は、ベストではなかったからといってその人間を罪に定めるとはどうしても思えない。
投稿者 tomoyuki : 00:21
04.02.09
祖母の手紙
昨年亡くなった母方の祖母の夢を見た。祖母の夢といっても、祖母本人は出てこなかったのだが、祖母の書いた手紙をぼくが読もうとしている夢だった。しかし、日本語の筆記体みたいな流し書きで書いてあったので、僕にはその内容を読み取ることが出来なかった。
昔、僕がまだSienaに住んでいた時のことだったが、祖母が手紙をくれたことがある。僕に喋りかける時とは違って、丁寧な敬語が使われていて、それに対して違和感を覚えた。当時、既に80歳近くだったと思うのだが、遠くない自分の死を見つめている人間独特の言い回しがあったのを覚えている。それを見て、なんとも言えない感情が沸き起こった。
僕がイタリアに来てから、祖母はどんどん小さくなっていき、昔のような元気もなくなっていった。一時帰国して祖母の家に挨拶に行くと、祖母は玄関まで迎えに出てきてくれたが、奥にある祖母の寝室には、昔はきちんと畳んで押入れに仕舞われていた布団が敷きっぱなしになっており、つい先程までそこで横になっていた形跡があった。そしてその数年後には、玄関のドアを開くとすぐに布団に戻って横になるようになった。さらに数年後の伯父の四十九日があった際、祖母は常にイライラし、ちょっとしたことで癇癪を起こすようになっていた。もちろんそこには、息子が自分よりも先に逝ってしまった事に対するやりきれない思いもあったのだろう。しかし、そんな祖母の姿を初めて目にした僕は、なぜか祖母と目を合わせることが出来なくなり、その日はまともな挨拶もせずに別れてしまった。それが僕と祖母がまともに顔をあわせる最後の機会となった。
その祖母が、僕にくれた唯一の手紙を読んだ時に感じたのと同じものを、今僕は、母が時々送ってくれる丁寧な敬語のメールに感じるのである。
投稿者 tomoyuki : 11:49
02.02.09
Violino撮影
友人のヴァイオリン職人の作るヴァイオリンを撮影させてもらった。ヴァイオリンというものを撮るのは初めてだったのだが、案の定、バッグや靴を撮るのとは大分勝手が違っていて苦戦した。思いっきりニスが塗ってあるので、反射や映り込みが酷い。こういう時のためにずっと欲しい機材がいくつかあったのだが、やはりそれらを早いうちに買うべきかもしれない。そして、一番難しかったのが木目を綺麗に見せるということだったのだが、ニスのせいか、板の面を見る角度によって、木目の見え方がかなり変わる。今回撮影したのはその友人のBook用だったので、前面、後面、ヘッドの3パターンだったのだが、前面と後面は正確に真正面から撮らなくてはならなかった。しかし、真正面から撮ると、下のほうの木目がほとんど見えなくなってしまった。その友人が好んで使う木が、一般的に使われる木と大分違ったものらしく、もともと木目の入り方がかなり変わっていたせいもある。それでもその友人のアドバイスなんかも聞いて、初めてにしてはなかなか良いものが撮れたと思う。木目に関しては大きな課題として残ったが、これはまた違うヴァイオリンでも試してみたいところである。というか、ヴァイオリンを撮るのは楽しい。ヴァイオリン専門カメラマンというのは世界的にも珍しいらしいので、撮れるようになっておくと一つの武器にはなるのかもしれないが、多分ヴァイオリンを撮影して欲しいというこの友人のような人間はそんなに多くないであろう。大体みんな、直接見せて弾いてもらうからだ。
投稿者 tomoyuki : 11:49
30.01.09
イタリアの首相
イタリアの現首相はかなり癖が強い。悪い意味で癖が強い。
先日、オバマ氏の大統領当選が確実となった際、この伊首相はオバマ氏について「彼はスマートでよく日焼けしていて・・・」なんていう訳のわからない発言をしていた。後で、あれは彼に敬意を表する一種の冗談であった、なんて言っていたが、冗談であるならば、かなりたちの悪い冗談である。間違いであるほうがよっぽどマシだ。
最近、イタリアのニュースでは毎日のように婦女暴行の事件についてとりあげている。年間で約34万件というから、かなり恐ろしい数字である。狙われるのはイタリア人はもちろんだが、外国人もである。具体的な比率はわからないが、犯人は外国人のほうが多い。ニュースの内容を聞いているだけで虫唾が走り、正直殺意が湧く。で、そういう状況に関して首相は、「イタリア人は美女が多いから100%防ぐのは不可能だ、一人一人にボディガードをつけるしかないね」と、いつものように笑顔で会見していた。まあもちろんこの発言に対してもかなり反発があったのだが、彼は「イタリアの女性を褒めただけだ」と開き直っていた。が、わざわざあのような婦女暴行事件に対する政府の対応を発表する場で、褒める理由がない。
この首相に対して、僕の周りでは批判する声しか聞いたことがない。周りのイタリア人が皆、首相の名を出すだけで顔をしかめたり、呆れ顔をしたりする。本当に、僕の周りの100%のイタリア人が、彼を批判しているのである。しかし、彼が今回首相になったのは2度目である。ということは、彼を支持する人間のほうが多いはずである。何故、僕の周りには批判の声しかないのだろうか。彼を賞賛するのは、僕のような人間が普通に生活しているだけでは知り合えないような人たちなのだろうか。よくわからない。
投稿者 tomoyuki : 13:19
29.01.09
物の値段。
昨年(一昨年だっけ)の原油高で、スーパーに並ぶ食材の値段が1.5倍から2倍以上に跳ね上がった。で、今は原油の値段がかなり下がっているはずなのに、スーパーの食材の値段がほとんど変わっていない。どういうことだ。電気代やガス代なども年々上がっているこのイタリアで、唯一(唯一ではないと思うけど)下がっているのは電化製品だ。が、電化製品など滅多に買うようなものではないので、あまり意味がない。食材や光熱費が下がってくれないと意味がない。まさかこれはまたユーロ通貨開始の際と同じイタリア得意の便乗値上げだろうか。それか僕の知らない何かがあるのだろうか(あるに決まっている)。
この前単純に、僕が家で作る食事は一体いくらかかっているのだろうと気になり計算してみたところ、パスタとサラダで大体3.50ユーロ。これでは家で作って食べる意味がない。。。
投稿者 tomoyuki : 13:19
22.01.09
人の話を聞く。
日本の僕くらいの年齢の人間がどうなのか、中学・高校の頃の友人と縁が切れて久しい僕にはわからないが、イタリアに来て比較的長い僕と同世代の日本人男性は、自分の話を誰かに聞いてもらいたくてしかたない人間が多い。これは僕がミラノに来た8年前からずっと気になっていることだ。僕もそういう人達とそんなに違いがあるわけではないが、誰かに話を聞いてもらうのならば、こっちもその分相手の話を聞くのが良い関係なんじゃないのか、と思う。これはかなり極端だとは思うが、僕に相手の話を聞く余裕がない時は、自分の話もあまりしないようにしている。これは相手へのリスペクトである。と同時に自分へのリスペクトでもあるのだが。お互いにこのリスペクトを持ってこそ、良い友人関係が築けるのではないかと思っている。
先日、二年振りくらいに会った男の友人と、Barでお茶をした。噂では仕事を頑張っているということを聞いていた。席に着くと早速、彼は自分の今の状況、未来の展望などを語り始めた。その話は僕にとってとても刺激的なものだったし、参考になる話だった。自分の今の状況に対して、愚痴を一つも言わなかったのも、とても好ましかった。一時間ほど、彼は話し続け、僕は相槌を打ち続けていた。彼の話が終わり、一息ついたところで、お礼ということではないが、僕が自分の話もしようかな、と思った時、彼は「じゃあ、そろそろ行かなくちゃいけないから。コーヒーごちそうさま」と言って席を立った。まあ、実際その後仕事が入っていたのも知っていたし、僕もそんなに彼を引き止めるつもりもなかったわけだが、自分の話をするだけして、それが終わったらすっきりした顔でさっさと席を立ってしまう彼を見て、開いた口が塞がらないとはこのことか、というくらい、僕の口は開きっぱなしになった。まあ、悪い人間じゃないし、結構おもろい人間だし、らしいといえばらしいので、この時のことは後に僕の中では笑い話にしかならなかったのだが、彼が誰に対してもこういう態度でいるしたら、結構やばいんじゃないだろうか。
あともう一人、顔を合わすといつも仕事の愚痴なんだが自慢なんだかよくわからない話を延々としてくる人間がいた。それもいつも同じような話で、聞いてるこっちはただただ疲れてウンザリするしかなかった。彼にも、僕の話を聞こうという気はまったくなかったようだ。僕の話ってそんなに面白くないのか、と思ってしまうくらい、こういう人間が僕の周りに多い。それも大体同じ年齢だ。タメだから話したくなるっていうのはあるんだろうけど。
まあ、僕もごく一部の人達に対しては喋るだけ喋ってしまうことはあるので、そんなに変わらないか。それにこの一部の人達はかなり僕を助けてくれている。それを考えると、まあ僕に何か話してくれる人がいるというのは幸せなことかもしれない。
投稿者 tomoyuki : 18:25
20.01.09
初スラれ
イタリアに来て9年以上が経つが、昨日、遂に、初めて、スリの被害に遭ってしまった。盗まれたのは携帯。
仕事を終えて、いつものように92番のバスに乗って帰ろうとした際、来たバスが結構混んでいて、うわぁ嫌やなぁ、と思ったのだが、その次に来るバスを待つ気にもなれなかったので、仕方なく一番後ろのドアから乗り込んだ。僕の他にそのドアから乗り込んだ男が一人いたのだが、犯人はこの男で間違いないだろう。僕を中に押し込むような形で強引に乗り込んできて、ドアが閉まった時点ではかなり不自然な形で僕に密着していた。
こういうことを言うのもなんだが、90,91,92,93番のバスの乗客は、まともじゃない人間がかなり多い。焦点が合ってなかったり、昼間っから酒臭かったり、衣服がめちゃくちゃ汚れて臭かったりっていうのが結構多いのだが(そのせいでわざわざこのバスを避けて通勤する人達は多い)、僕を押し込んで乗ってきた男もそれ系だったので、ちょっと離れようと思い、強引に奥に進んだ。人と人との隙間におさまって、とりあえず落ち着いてダウンジャケットのポケットを探ったら、携帯がなくなっていた。その時点でピンと来た僕は、その男を捕まえて、俺の携帯返せ、とも言えたのだが、それをしなかったのは、僕の中である疑惑があったからだ。それは、俺は本当に携帯電話をダウンのポケットに入れていたのか、ということだった。基本、バスに乗る時、僕はこのダウンのポケットに携帯を入れるようにしているのだが、ここの所うっかり何かを忘れることが多い僕は、携帯をポケットに入れたつもりで、職場に置き忘れている可能性を否定しきれなかった。もし実際にそうだとしたら、もちろんここで携帯返せなんて言うのはかなり危険があり、下手したらこっちがボコボコにされてしまう。かといって、遠慮がちに「あなた、僕の携帯盗ってないですよね?」なんて聞けるわけない。
ってなわけで、結局僕がその時点で出来ることは、その男をずっと凝視していることだけだった。顔から察するに、おそらくルーマニア周辺の東欧人だ。その男は次の停留所で降り(これが既におかしい)、思いっきり振り返って僕のことを見、僕がめっちゃ凝視していることに気付くと、そそくさと小走りで走り去っていった。その時点で僕のその男に対する疑いは確信に変わったのだが、当然何かできるわけでもなく、そのままバスのドアは閉まり、発車した。家に着くまでの間、僕はずっと記憶を手繰り寄せ、携帯をどこに置いたのかを思い出そうとしたのだが、全く思い出せず、家に着いてSkypeから携帯に電話してみて、呼び出し音も鳴らずに留守電サービスに繋がった時点で、はい、決定。やられました。今朝職場に来たが、案の定携帯はなかった。
しかし、あまり悔しさは覚えない。イタリアで日本人といえば、泥棒業界からしたら絶好の平和ボケしたカモである。実際、僕の周りで、スリ、置き引き、泥棒、などの被害に遭っていない人間など僕以外で一人しか思い当たらない。しかし、被害を受けた人たちから話を聞くと、盗られ方は実に様々だ。そんな環境の中で、9年間、何もなかった僕は、頑張ったと思う。まあ、盗まれたものがパスポートや滞在許可証であったら、僕はもっとパニックに陥った後、怒り狂うであろう。
そして、盗まれた携帯は結構使い込んであり、むしろ携帯の価値よりもプリペイドとして残っていた20ユーロのほうが価値が高い。そういう意味では、ざまぁみなさい、あんな携帯誰も買い取ってくれねーよ、ってな感じである。
ただ、携帯会社に行って番号復元してもらうのと、新しい携帯を買うお金と手間が惜しい。
投稿者 tomoyuki : 13:40
19.01.09
決意
決意とか、覚悟ってものは、まあ人にもよるのは大前提だが、結構限られた機会にしかできないことなのだろう。僕は今のところ、その殆どの機会を逃しながら生きているという気がする。もうほとんど、どこが決意すべきところなのか、覚悟するところなのか、そんなことさえわからなくなってしまっている。一番最後に何かを決意したり、覚悟したりしたのはいつのことだろうか。というか、そんなことあったのだろうか。諦めという言葉は嫌いだが、諦めという行動には慣れきってしまっている。もっと前向きな気持ちで生きていかないと、僕はこのままあっという間に還暦を迎えるだろう。その時、楽しい人生歩んだなぁ、なんて思えないのは目に見えている。
投稿者 tomoyuki : 13:40
14.01.09
書き始め。
もう何年の間Blogに文章を書いていないのだろうか。
書き込まなくなったきっかけは殆ど忘れたが、気付いたら何かを書こうという思いもなくなっていた。
これまでに何度か、何か書かなくてはと思い、書き始めたこともあったが、書いているうちに自分の頭の中が混乱して、何を書けばいいのかわからなくなってしまったことが何度もあった。これは友人との会話にも現れていて、普通にしょうもない話をしているときは問題ないのだが、いざ真面目な話題の中で自分の考えを口に出そうとすると、すぐに頭が混乱して、自分が何を言いたかったのかさえわからなくなる。これって何か精神的な病気なのだろうか。それはないと思うけれども。
でも久し振りに何か書いてみようかな、と。ようは慣れだ。まずは自分の考えを書かなければいい。
Gomorra(2008)がオスカーの外国映画ノミネートに入らなかった。ネタがローカルすぎたのだろうか。映画としてはなかなか面白いと思うので、是非皆さんにも見てもらいたいのだが。ただ、この映画を見てしまうと、もうナポリに行って馬鹿できなくなってしまう。馬鹿というのは、街中または郊外のいたる所にある、引き出しの中を覗いたら白い粉の入った袋が山積み、みたいな廃墟にそっと潜入して撮影するとか、自分が街中を歩いている時に、後ろから時速5kmくらいでやってきた、スクーターにノーヘルで3人乗りしている10歳くらいの子供たちに、いきなり頭をパーンと叩かれて、「この中国人がっ」と罵倒(?)された時に、つい中指を立ててしまうとか、そういうことだ。まあ、あの頃僕は若かった(と思いたい)のだが、今ナポリに行っても、そういうことをしようとは思わない。というか、怖くて出来ない。無知って怖い。
Come dio comanda(2008)は、Io non ho paura(2003)と同じ監督で、同じ原作者の作品。映画だからそうなのか、原作がそうなのかはわからないが、人物描写が素直すぎて時に自分の心にグサッと刺さる。Come dio comandaはある父子とその友人(軽度知的障害者)の3人を中心とした話なのだが、この友人役の俳優にはちょっと感動した。そして息子役の14歳(本当か?)の少年も素晴らしい。この原作者の小説、読んでみたい。というか、僕はこっちに来てそろそろ10年になるが、普通の小説なら問題なく読めるくらいの語学能力はついてきているのだろうか。それが露呈されるのが怖くてイタリア語小説敬遠中。
投稿者 tomoyuki : 09:15
12.04.08
Bolzano-2



投稿者 tomoyuki : 11:37
22.06.07
Venezia
ヴェネツィアから戻ってきて、本当に大分経ってしまった。
Venezia Biennaleは、まあイメージしていた感じで、2年前よりも動画は減っていたが、その分写真作品が増えていて、面白かった。みんな中判好きだなぁと。やはりArsenale地区の方が環境は抜群に良い。あれだけ広い場所なので(20mx2kmくらいのL字型通路)、写真一枚一枚もかなりゆとりを持って配置されており、そうすると見ている側としても一枚一枚にきちんと集中できて良い。あとは照明か。
夜行われた森山開次のSpettacoloも最高だった。イタリアらしいアクシデントがあり、僕が予約した席の列が現地に行くとそっくりそのまま存在せず、ちょっと待ってねと言われ、「もしかしてもしかするのか?」と期待に胸を躍らせて待っていると(もしかしてもしかしたことが何度かあるのだ)、ものすごく期待通りに、一番前の列の真ん中と、超特等席に座ることが出来た。こういう時だけだな、イタリアの腐敗システム万歳と思うのは。
というわけで、森山さんを5m先くらいで見ることが出来たのだが、演出で、舞台から客席に降りてくるところがあり、その時はもう1mくらいの距離で、彼の体から滴る汗の一滴まで見ることができた。っていうか、細いなぁ。絞ってるなぁ。彼がダンスを始めたのは20歳の時と書いてあるので、特にテクニック的に優れたダンサーではないのだろう。しかし、表現力が抜群で、その抜群の表現力に耐えうる肉体を持っている。ダンサーというより、「体現者」と言ったほうが正しいかもしれない。まあ、ダンサーってみんな体現者なのかもしれないが。
やはり人は裸で踊るのが一番美しい。撮りたいなぁ、森山さん。
観客は殆どがイタリア人で、それにもまた驚いた。ポスターが良かったかもね。
やはり時間が経ってしまうと書くのが難しくなる。
投稿者 tomoyuki : 11:36
01.06.07
ヴェニスの友人
昔、Sienaに住んでいた時に一緒で、それからVeneziaに移った友人に、久し振りに電話をかけてみた。数ヶ月前にかけた時には呼び出し音もならなかったので、もう日本に帰ってしまったのかと思っていたのだが、いた。Siena時代の友人でまだイタリアに残っているのは彼しかいない。思いっきり自分が用のある時にしか電話しなくて申し訳ないのだが、まあ既にそういう僕の性格を判っている人で、彼は彼でそれで構わないようだ。軽く近況を報告し合い、一泊させてくれるか尋ねたら、すぐにオッケーの返事をくれた。さすが。
これでゆっくりビエンナーレ巡りが出来る。森山開次の公演は既に空席が少なくなっており、これからチケットを買いに行ってみるが、間に合うかどうかは判らない。まあ、間に合わなかったら久し振りのVeneziaで呑めないなりに呑んで、美味しい魚介に舌鼓を打つことにしよう。
話は戻って、そんな彼も最近日本に撤収することを考えているようで、まあ数年に一回電話で話す度にそんな事を言っているので、今回もどうなるかわからないが。しかし、今回とは別で、また彼の家に泊めてもらうことが出来たら、泊まる所があるうちに、まだ訪れていないVeneziaの墓地島に行こう。
投稿者 tomoyuki : 15:52
30.05.07
暑寒
ここのところ、続けて30度を越す日々が続いていた。「なんか、イタリアの夏の時期が年々早くなってない?」と思う。僕がミラノに住み始めた時などは、普通に7月8月が一番暑かったのだが、3年ほど前から、それが6月に移り、今年はまさか5月かい、なんて思っていたら先週末に激しい雨が降り続き、一気に気温が下がったのでホッとする。
今年のヴェネツィア・ビエンナーレがそろそろ始まる。今年はアート。暑くなりすぎないうちに行きたいものだが、暑いのが過ぎてから行くのもアリか。森山開次が6月15,16日とビエンナーレで公演する。見たいなぁ。泊まりで行っちゃおうかなぁ。
投稿者 tomoyuki : 09:55
24.05.07
タクシー
ここ最近、特にタクシーを使うことが多い。日本のタクシーもそうかもしれないが、こっちにも、実に様々な運転手がいる。まあ、とりあえず「お客様様」という概念は他の分野と同じように、タクシーの世界でも殆ど全くと言って良いほど無い。「俺が運んでやるんだから感謝しろよ」的な雰囲気を醸し出している運転手も少なくない。まあ、こういうことにはいい加減慣れた。今日乗ったタクシーの運転手は非常に珍しいタイプだった。向かったのは僕が最近よく行く倉庫だったのだが、今日の運転手は、他の運転手とは違った行きかたをした。僕は職場からその倉庫までの行きかたを完全に憶えてしまっているので、変な道に入った時点で「そっちじゃなくてこっちだよ」ということも出来たのだが、そういうことを言うと大体の運転手は気分を害し、タクシー内の雰囲気がものすごく悪くなるので、言わないでおいた。気分を害されてわざと遠回りをする運転手もいそうだし。で、案の定いつもより料金が高くなっており、こっちは一通が多いためぐるぐる回りだし、もう倉庫はすぐそこなのに、なかなか着きそうにない。運転手もその辺の地理に疎いようで、どう行けば良いのか迷っているようだったので(かなりマニアックな場所に倉庫はある)、僕は「ここで良いから下ろしてください。後は歩きます」と言った。そうすると、特に悪びれている様子でもなかったのだが、運賃を少し安くしてくれた。それが僕にとっては吃驚で、普通は意識的に迷おうがどうしようもなく迷おうが、ちゃっかり走った分だけ請求するのがイタリア人である。しかし、これも偏見であった。というか、100%のイタリア人に対して当てはまるイメージなんて1つもない、ってことに最近になって漸く気づき始めた。遅い。
今日の新聞の記事に、「世界で一番マナーのなっていない観光客はイタリア人。逆に世界一マナーがなっているのは日本人」という記事があった。5年ほど前から毎年のように同じ記事を見ている。きっと永久に変わらない事実なのだろう。「うるさい、チップを出さない、何処でもタバコを吸う、ゴミを捨てる」などなどイタリア人が海外で評判の悪い理由が沢山書いてあった。まあ、これは事実で、僕が外国に旅行で行った時などでも、「奴らうるさいなぁ」と思って見るとイタリア人だったりする。でも、そんなヨーロッパ中で馬鹿にされているイタリア人を海外で見ると、なんかホッとしてしまう自分がいる。イタリア人には、人の肩の力を抜けさせる才能がある。それを踏まえてのG8加入国なんだろう。
ちなみに、日本人はマナーがなっているのではなく、言葉が喋れないから派手な動きをしないだけだろうと思う。ニコニコして頷いてるだけだからマナーのなっている人間と思われる。悪くもなければ良くもない。それが日本人の立ち位置か。日本人の英語のレヴェルが飛躍的に伸びたとしたら、この世界のマナー順位も大きく変わることだろうと思う。
投稿者 tomoyuki : 14:58
15.05.07
一時帰国
4月30日から10日間ほど、日本に帰国した。
25日に祖母が亡くなったので、初七日には間に合うかと思ったが、既に終わってしまったらしい。初七日というからには七日目に行うのではないかと母に訊いてみると、今は告別式と初七日を一緒にやってしまうことが多いらしい。生きている人間に都合を合わせるという言い方もおかしいかもしれないが、そういうことらしい。告別式も本当なら亡くなってから3日ほど経ってから行うらしいが、それも「寺の都合」で亡くなった次の日に行ったようだ。じゃあ、「仏」って一体なんなのだ、と。
約一年ぶりに祖母の家に行ったが、そこにはもちろん祖母の姿はなく、あるのは遺骨と花と遺品だけだった。古い箪笥の上に、祖母が生前作ったと思われる、数枚の写真を一枚の写真としてコラージュした額が乗っていた。そんなものがあったとは全く知らず、更にそこに、4,5歳であろう僕と祖母が一緒に写っている写真があったことに更に驚いた。僕は全く覚えていないが、祖母にとっては嬉しいことに、大きな思い出であったらしい。そのオリジナルの写真は僕が貰った。
祖母が亡くなってから、いろんな遺品が出てきたらしく、祖母の学生時代の通信簿やら、僕の母の学生時代の通信簿まできちんと整理された状態で出てきたのだが、祖母も母も恐ろしく頭が良かったらしく、殆どの教科が「5」で埋まっていた。その遺伝子は一体何処に行ってしまったのだろうか。いや、たぶん僕はその遺伝子を受け継いではいる。僕も中学の頃などは勉強すれば勉強しただけ点数が取れていたので、祖母の孫であり、母の息子であることは間違いない。ただ、「勉強しない」のであった。
写真も続々と、これもまた綺麗に整頓されて出てきた(保存状態が非常に良い)。母や、母の兄弟の写真も沢山あったのだが、なんだか矢鱈に構図の取り方が上手い写真ばかりで、誰が撮ったものなのかと訊くと、僕の祖父が撮ったものだろうという事。まあ、祖父の時代はやたらにカメラが流行っていたようなので、平均的にテクニックレヴェルが高かったのだろうが、それにしても見事な写真を撮るものである。所謂「アウラ」であるとか、そういうことを差し引いて見ても、良い写真であると思う。で、これだけ大量の写真を撮っていて、それもフィルムサイズの異なった写真もあるということは、もしかしてこの実家には未だに数台のカメラが眠っているのではないかと、とりあえず探してもらうよう頼んでおいた。出てきますように。
なんだか、僕って優秀な血を引いているんだなぁ、と今更ながら知るが、その優秀な血も、使う人間によってはほぼ完全に無に等しくなるのだと気づき、不甲斐無い。有効に用いなくては、先祖に頭が上がらない。
今回、ゴールデンウィークと祖母の死が重なったせいで、昼も夜も家族で過ごすことが多かった。父も母も叔母も、僕が戻ってくるまでが一番辛い時間であったろうと思うのだが、今は落ち着き始めているようで、ホッとする。まだまだ片付けなくてはならないことが沢山あるようだが、幸い時間をかけていけることばかりなので、良かった。プチバーベキューを一回、日帰り温泉旅行を一回、プチ人間ドックを一回。去年発見された胆嚢のポリープに変わりは無し。悪性ではないようだ。
東京に二日ほど滞在。西武新宿沿線に住んでいる妹の家にお邪魔した。妹は今研修中のエステシャンで、話を聞くとかなり理不尽な職場らしいが、それに耐えている妹は将来大きくなるだろうと思う。一日、新宿デートに付き合ってもらったのだが、まさか妹と新宿を歩くことになるなんて夢にも思わず、しかし向こうはなんかやたらに自然体なので、大人になったんだなぁ、と感慨深い。妹を見て、「俺も頑張らないと」なんて思っているうちは、いろんな意味でダメだと思う。
投稿者 tomoyuki : 09:22
26.04.07
祖母
10日ほど前、父からのメールで、母方の祖母が2月に倒れ、脳内出血で入院している旨を知らされた。90歳という高齢であることもあり、手術に耐えられない、今の状態よりも良くなることはもうないと、病院側から言われたらしい。母に電話して詳しく話を聞くと、まだ意識もあり、痴呆が進んではいるが、こちらを確認することは出来る、しかし夏まではもう持たないかもしれないと、いつものクールな口調だった。母は病院勤めをしており、人間の死というものに対して、耐性のようなものが出来ている。僕が学生だった頃、それに対して違和感を持つことも多くあったが、今の母は、やはり苦しいのだろうと思った。医療関係に就いている者としての、責任や経験の重さを感じる。とりあえず、祖母が亡くなる前に日本に帰ると言って、電話を切った。
そして今朝メールボックスを開くと再び父からメールが来ていて、それを開くまでもなく、半ば無意識的に覚悟を決め、メールを開くと、一行目に、「訃報です。」と書いてあった。
昨日の3時に、最後は呼吸停止で亡くなった。顔は穏やかだった。母と叔母が付き添っていた。と書いてあった。
こんなに早く亡くなってしまうなんて、と、そんなことを考えるのは止めにした。そういう可能性はあったのだし、それは僕も意識していたのだ。
投稿者 tomoyuki : 09:33
25.04.07
独立記念日
今日、4月25日は、イタリアの独立記念日(もしくは開放記念日)。ナチスからの解放を記念した祝日なのだが、キリスト教と無関係の祝日というのはイタリアでは多くない。イタリア人的にも別にこの日に何かをしようとか、そういうのはあまりないようだ。あるとすればデモ行進くらいなものである。5月1日にメーデーがあり、それまでの一週間、ヴァカンスに行く人もいる。僕の仕事にとってはあまり関係がない。通勤電車がガラガラだから座れるというくらいなものだ。
昨日の夜、コルソコモ地区に飲みに行ったのだが、ものすごい人が溢れていた。今日が休日であるからというのもあったのだろうが、久し振りにあれだけ賑わっている場所に足を運んだ。しばらくいいや。
投稿者 tomoyuki : 09:45
24.04.07
春晴れ
ミラノは曇っている空が良く似合うとは言っても(言ってるのは僕だけだけど)、やはりこう心地良い日が何日も続くと気持ちが良い。家にいるのが勿体無く、なんかピクニック的なものにでも行きたい気分だが、週末はなんだかんだで出掛けるのは難しそうだ。海に行きたいなぁ、海。最近また銀塩写真撮ってないし。
投稿者 tomoyuki : 11:40
サローネ後
とは言ってもまだサローネが終わってから一日しか経っていないのだが、とりあえずお疲れ様会みたいなものがあり、日本で働いている方々と直接接する機会もそんなに多くないので、お邪魔させてもらっている。結構責任あるポジションについて現場を仕切っていた、僕と歳もそんなに変わらない人達との砕けた時間は楽しく(砕けたとは言ってもやはりこちらはソコソコ緊張しているのだが)、僕も頑張らないとなぁ、と思わされる。僕は日本の社会を殆ど何も知らないうちにこっちに来てしまっているタイプなので、日本の社会の人間と接する際、どのようにコミュニケーションをとって良いのかよくわからないことがある。若い人達とはまだ通じている感があるが、40歳代の人達以上になると、どうにも噛み合わず、こちらも混乱してきてしまう。自分がその相手に対して言葉を発した時、相手の表情が一瞬キョトンとなることがある。自分の言っている事が全く通じていない感じがある。逆も然りかもしれない。これはただ単に歳の差がそうさせているのか、実際僕が結構まずい行動をとってしまっているのか、判りかねる。こちらとしてはこれ以上丁寧に話すこともできないし、ネタも他にないし、どうすることも出来ない。というわけで、僕は日本で働いている人達と会話するのが段々苦手になってきている。難しさを感じる。コミュニケーションがとりにくい。まあ、もともとそんなに人付き合いが得意なほうでもないし、そんなに多くの人と付き合いたいわけでもないのだが。それでも10人の中で1人くらいはなんとなく波長の合う人もいて、そういう人とは何の困難も感じず話すことができる。まあ、向こうが気を使ってくれているのかもしれないが。
投稿者 tomoyuki : 08:24
23.04.07
ミラノサローネ
今年も行われましたミラノサローネ。今年も出来ればカメラマンとして参加したかったのですが、仕事が貰えず、バイトをすることになった。バリバリの日本大企業でのバイトだったのだが、生まれて初めて着ましたスーツ。僕はスーツなんてものは一着も持っていなかったので、友人が昔着ていたものを頂きました。もうとにかく肩が凝って仕方がない。舐められないように髪形もビシッとキメて行ったのですが、やはり着慣れていない感じはどうしても隠せず。それでもこの一週間毎日着続けていたので、終わるころにはそこそこハマッているように見えました。
日本の大企業ってことでかなり緊張していたのですが、まあ色々な人がいるなぁ、と。でも基本的に上のほうに立つ人間は忍耐力が半端ではないので、助けられました。自家用ジェットでイタリア入りしたその大企業の重鎮が一番腰が低かった。
投稿者 tomoyuki : 10:24
11.04.07
春認定
ようやく春に突入したようで、コートを着ることが出来なくなった。体軽いわー。あとはあっという間に夏に突入していくのを黙って見ているのみ。
投稿者 tomoyuki : 11:00
09.04.07
フリスビー
友人に誘われ、半分は嫌々ながら、近くの公園にフリスビーを持って出かけた。あまりにも天気が良いので、何か外で運動でもしないともったいないということで、そうなった。結構大きな公園なのだが、復活祭の翌休日ということで、公園には沢山の人がいて、日向ぼっこしていたり、サッカーしていたりした。昔は復活祭の連休といえば、夏休みの次に街から人の姿が消える連休だったのだが、ここのところ、物価の上昇やら何やらで、ヴァカンスに出かけず、街に残ってゆっくり過ごすイタリア人が増えた。それまで復活祭連休で使っていたお金を夏休みのために取っておき、夏はばーっと豪華に過ごそう、なんて考えているのかもしれない。
最初、その人込みの隙間でフリスビーを投げ合っていたのだが、近くに寝そべっていたカップルの女性のほうが「ちょっといい加減にしなさいよ、ゆっくり休ませなさいよ!」とご立腹。「わざわざこんな人込みの中に来て休む必要があんのか、家で休め、家で」と思い、数年前であれば実際口に出して日本人の評判をがた落ちさせていたかもしれないが、僕も少しは社会に適合する術を学んだのか、なんとなくその女性の気持ちがわかってしまったので、謝って場所を移すことにした。
とは言っても、なかなかちょうど良く空いている場所がなく、公園を一周してようやく見つけた場所を確保、とりあえずそこで遊ぶことにした。とは言っても、しょっちゅう近くを人が通るので、常に気を使いながらフリスビーを投げなくてはならず、あまり思いっきり遊べなかった。
それでもきちんと次の日には筋肉痛になっていた。
投稿者 tomoyuki : 08:14
28.03.07
モラル?常識?
先日も書いたような気がするが、こちらで地下鉄などに乗って新聞を読んでいると、隣にいる全くの他人が、新聞を覗き込んで一緒に読んでいる場面をよく目にする。で、もちろん僕が読んでいても覗き込んでくる。
これ、別に法律違反でもないし、誰かが駄目と言っているわけでもないので微妙なところなのだが、僕なんかは、知らない人間が自分の読んでいる新聞を覗き込んでくると、何故かわからないが不愉快になる。
モラルというと大袈裟だし、常識っていうと、そもそも常識って何かね、ということになるのだが、あまりにもこっち側に対する配慮の欠けたこの行動は、僕の中でまだ放っておくということが出来ないでいる。僕が毎朝読んでいる新聞は無料配布されるもので、改札前に山のように積み上げてある。読みたいのであれば、自分でそれを取って読め、と言いたくなる。そういうこともせずに他人の読んでいる新聞を一緒に見てやろうなど、調子が良すぎるのである。けちだと言われればそのとおりだが、一度そう思ってしまうと、「なんで俺がこいつのために新聞を捲ってやんなきゃいけないんだ」と細かいところにまで腹が立ってしまう。
で、今朝僕の隣に座っていた男は特に酷く、あまりにも当然であるかのように、思いっきり首を伸ばして僕の新聞を覗いてきた。はじめのうちは「またか」と気にせぬようにしていたのだが、あまりにも露骨に覗き込んでくるので、僕のほうは段々新聞に集中できなくなり、不愉快になってきた。横目でチラチラ見てくるとか、こちらが顔の向きを変えたときに、慌てて見ていない振りをするとか、そういう罪悪感から来る行動を起こすのであれば、おかしい言い方だが、まだ許せる。しかし、今日の男はそんな素振りなど一切見せないので、僕は一度やってみたかった行動に出ることにした。
「そんなに読みたいんだったらあげますよ?」と言ってみた。ものすごい厭味だと思われるかもしれないが、こっちは思いっきりそのつもりである。そう言うと、その男は一瞬慌てた感じで、「いや、もう終わったから大丈夫よ、ありがとう」と言ってきた。
「終わった」って、何が「終わった」のだ?読み終わったってことか?こっちは難しい単語が羅列する文章を貴殿に邪魔されながら読むのに必死でまだ全然読み終わってないのに、貴殿は横から勝手に覗き込むだけでもう「終わった」と?それも、「ありがとう」って感謝までされてしまって、僕のほうは肩透かしを喰らった感じになった。それだけならまだいいが、なんか「負けた」感じさえする。まあ、なんだか向こうは本当に悪気がないようなので、僕もそれ以上気にするのが無駄だと思い、再び新聞を読み始め、彼は再び新聞を覗き込み始めた。勝てないなぁ。
投稿者 tomoyuki : 08:42
19.03.07
26歳。
26歳になった。
もうそこそこ大人である。
投稿者 tomoyuki : 11:31
17.03.07
家具組み立て
IKEAの家具組み立て2日目。大分勘を取り戻したようで、一日目のような苦戦はもうしなかった。それにしても、IKEAには驚かされる。一日目にセミダブルベッドを購入したのだが、組みあがると大体180x100x220cmほどの大きさのベッドが、箱に入っている時点では、100x10x220cm程のサイズに収まっている。2日目に買ったシングルベッドも、組みあがりは100x100x210cm程のものが、20x20x210cmの筒状の段ボール箱に収まっており、それを見ただけでは本当に全ての部品がそこに納まっているのか不安になるが、きちんと組みあがる。設計する時点で、ダンボールに入れる時のことも考えられているようだ。素晴らしい。
投稿者 tomoyuki : 11:13
14.03.07
引越し
午後、友人の引越しの手伝いをした。その友人の新しい家はほぼ完全にスッカラカンで(ガスも引いていない)、かなり色々な家具を買わなくてはならない。この日はIKEAに行き、ベッドとクローゼットを買った。改めて、IKEAってうまいこと考えるなぁ、と感心した。出来るだけ購入者を不快にさせないやり方できっちりと買わせるところがそこらのイタリアの詐欺師と違うところである。北欧優しい。
自分の引越しでも、人の引越しの手伝いでもいつも思うことなのだが、僕は基本的に注意力散漫で、そのくせ欲張る。もっとクールにパパッとこなしたい感じなのだが、出来ない。まず体力と筋力がない時点で不利だ。
投稿者 tomoyuki : 11:44
13.03.07
Ballerina
先日、友人のバレリーナを撮影した。オーディション用の写真を撮って欲しいということで、快く応じた。撮影場所は彼女が通っている学校で、当日行くまで、どんな環境かわからなかったので不安だったのだが、行って見るとなかなか良い感じのフロアで安心する。映画などを見て想像していたのとは違って、今はあまり木の床を使っている場所はないらしい。滑りすぎるのだそうだ。個人的には木のほうが好きなのだが、ここは白いリノニウムを使っていたのでまだ良い。
撮影してみて思ったのだが、僕はバレリーナを撮るのが好きである。バレリーノ(男)は撮ったことがないのでわからないが、ファッションモデルを撮るよりも全然楽しい。何故だろうか。
彼女が通っている学校の先生はバレリーナのモデルをしているらしく、フロアの壁には彼女の写真がたくさん飾ってあった。なんでバレリーナの写真って、こんなに「ありがち」な構図が多いのだろう。爪先立ちをしている足のアップだったり、ストレッチ場面も、構図が似たり寄ったりである。まあ、僕もとりあえずそういうのを撮ってしまっているんだけど。

投稿者 tomoyuki : 12:11
15.02.07
反応
昨日の帰宅途中、僕が携帯でメッセージを打っていて、後ろから足早に歩いてきた若い女性に全く気づかず、追突されそうになった。携帯に集中し、ノロノロ歩道の真ん中を歩いていた僕が悪かったのだが、その女性が僕にぶつかろうかという瞬間、「ちっ、このう○こが!(直訳)」と罵声を浴びせてきた。で、その罵声とちょうど同時に、僕が「すいません」と反応したのだが、その素直な反応を聞いた途端、その女性は急に態度を変え、「いいのよ、別に(雰囲気訳)」と言って去っていった。態度を変えるんなら第一声でそんな罵声を言わなければ良いのに、と思った。イタリア人は男性でも女性でも、平気で汚い言葉を使う人達が多い。それが癖になってしまっているから、今回のように、突然予期しなかった出来事が起こった時に、まず罵りの言葉が出てしまう。別にそんな大したことでもないのに、口から汚い単語が出てしまうのだ。バスなどに乗っていても、運転手が歩行者やバイクに乗っている人に対して文句を言っている場面を目にすることは多い。
で、僕もそんなイタリア人たちと同じで、つい第一声で罵声を口にしてしまうことが多い。精神的に消耗しているときなどは特に、歩道いっぱいに広がってノロノロ歩いている人達を邪魔だと思った瞬間に、口に出して罵声を浴びせてしまう。地下鉄から降りる際、降車口を塞いでしまっている人達に対してもつい罵りの言葉が出てしまう。日本に住んでいた時は、そんなことなかったので、悪い意味でイタリアナイズされたのかもしれない(まあ、日本人は周りの人に気を使うことが身についているので気にならないというのもあるが)。これは本当に不味いことで、人格を疑われても仕方のないことである。罵声を口にした瞬間、ハッとする。
投稿者 tomoyuki : 10:41
08.02.07
zakka
今、社長のリクエストで、日本のデザイン雑貨をリサーチしている。日本って良いもの沢山あるなぁ、それもお値打ち価格で。これ、イタリアで売ったら3倍の値段つけても売れるな、と思う。欲しいと思うものが多くあるが、今は優先順位としてはかなり低い位置におくしかない。もうブランドのバッグとか靴とかやめて、こういうものを撮りたいなぁ。陶器とか、難しいんだろうなぁ。バッグとか靴とかの撮影ノウハウとはまた違うノウハウがあるんだろうなぁ。面白そうだなぁ。
Ushiyamaさんのサイトが更新されていたので、ここで初めて、まとめて彼の作品を見た。良いなぁ。日本って感じだなぁ。巧いなぁ、と思う。VE07で、僕の作品と並べることになったら良い感じのコントラストが付きそうだ。というか、未だに一度もVEに直接参加していない。直接見たいんだけどな。
先日サッカー暴動のことを書いたが、今イタリアは毎日このニュースでもちきりである。どんどんそのときの状況が明らかになっているのだが、もうファン共は思いっきり暴れるつもりでスタジアムに行っていたのだ。紙爆弾を作っていたというからもうこれは殺意があったと言って良い。防犯カメラには身元がばれないように顔をマフラーか何かで覆っているファンも映っていたようだ。最悪だなと思うが、まあ、想像するに、警察側も普段は結構やりたい放題やっていたのではないか。数年前のGenovaでのG8開催時、デモ中警察に袋叩きにされる状態で命を落としたイタリア人青年がいた。イタリアではドキュメンタリー映画となり、DVDも出ていたので見てみたいと思っているのだが、こっちは基本的に国家権力が腐っている。特に警察。世論(もしくは政府のお偉いさん方)が警察を支持し、警察側に正義があると見なされた場合、もう止まらない。「ここで普段の鬱憤晴らさずに、何処で晴らすのだ」という勢いで暴れる暴れる。んで、反権力側も暴れに暴れるので、もう暴動というに相応しい状態になる。お互い、暴れる隙を窺っていると言っても過言ではない(一部の人達です)。
今回の件に関しては、こっちの新聞では、完全にファン側が悪となり、毎日攻め立てられていて、毎日逮捕者が出ている。Genovaのときは完全に警察側が悪になっていたので、とりあえず、死者が出たほうに正義があると見なされる様である(マスコミは)。
日本でも記事になっているかどうかネットで探してみたら、日本では、これからのセリエA、スタジアムに観客を入れるかどうか、イタリアでプレーしている日本人選手はどうなるのか、と、殆どそこに話題を絞っているようで、それはそれで怖いと思う。
投稿者 tomoyuki : 11:58
05.02.07
霧とPompeiとファン
今朝の霧は本当に濃かった。10メートル先も見えない。午後になっても同じくらいの濃度を保ってくれれば良いのだが、10時くらいには完全に消滅し、青空になってしまう。
Roman PolanskiがPOMPEIをテーマに映画を作るらしい。記事を読む限りでは、紀元前79年のVesuvio火山の噴火によるPOMPEIの消滅を映画で再現するらしい。非常に興味深い。今年の夏からイタリアで撮影を始めるらしいのだが、どこで撮るのだろうか。POMPEIは既に廃墟だし。撮影場所と期日が判るようなら見に行きたい。
先日、セリエAのカターニャvsパレルモ戦で、死者がでた。試合中に観客席で暴動を起こしていたサッカーファンの警備にあたっていた警察官一名が命を落とした。
これを受けて、イタリアサッカー協会はこれからしばらく、スタジアムに観客を入れずに試合を行うことを決めた。街中の、ケーブルテレビ契約しているBarなどにとってはある意味嬉しいことかもしれない。
サッカー大国イタリアで、純粋にサッカーが大好きで、応援したいチームがあって、というファンだけだったら問題ないが、実際は、サッカー応援を名目に馬鹿騒ぎをし、今回のような暴動を起こすことが一種のストレス発散になってしまっているファンたちが本当に多い。僕のようにサッカーが特別好きなわけではない人間にとっては、このような、サッカーというスポーツを取り巻いている雰囲気に嫌悪感を憶える。サッカー自体が嫌いなわけではなく、その周りに存在するどうしようもない状況に辟易する。日韓ワールドカップの時のことを思い出すと今でも頭にくるし、毎週末、特にミランvsインテル戦が行われるときなど、町を歩いているだけでも恐ろしさを感じる。
フーリガン国ではファンに対する取締りが厳しいらしいが、イタリアもそうするべきであろう。ぶっちゃけ、同性結婚を認めるかどうか協議するより先に、イタリアの一部サッカーファンを徹底的に締め上げる法律を作れ、と。
投稿者 tomoyuki : 11:23
30.01.07
インフルエンザと駿
風邪の症状が昨日よりも重くなっている。職場に着いたは良いが、早速頼まれた書類作成をExcelで行っているうちに、頭がグルグル回り出した。立ち上がるとフラフラしてしまってどうしようもない。2時間ほど働いたところで限界が来てしまい、早退させてもらった。職場的にも、きっちり治してから来てもらった方が風邪がうつったりしなくて良いのだろう。嫌な話だが、給料のことなども気になってしまい、無理して出てきたのが間違いだったか。未だに自分の給料のシステムがよく判っておらず、固定給なのかどうかもわからないし、固定給とはいえ、月のうちの2,3日休んだりしても響かないのか?など、色々考える。まあ、多分もらえるとは思うが。これ以上給料が安くなると暮らせなくなるので、出来るだけ休みたくはない。
インフルエンザの症状は昨日よりも顕著で、咳が止まらず、その咳のせいで肺に負担がかかっており、大丈夫だとは思うが肺炎などという言葉も浮かぶ。あと、全身に力が入らず、関節が痛む。頭痛はないが、クラクラしている。熱がある気がするが、体温計がどこかにいってしまって未確認。恐らく測らない方が良いだろう。昔から、熱があるのを体温計によって保証された途端、気持ち的にも伏せてしまい、尚更具合が悪くなる可能性がある。ただの風邪くらいに考えていた方が、自分的にも良いのだ。
今回の風邪、母の薬が殆ど効かないため、こっちの飲み薬を飲んでみた。今まで母の薬で事足りていたのと、こっちの薬は日本人には強すぎると聞いていたので、今までなんと無しに避けていた。今回飲んでみて、確かに強い感じはして、空腹時に飲むとすぐにお腹が下る。しかし、その分効果覿面で、咳もすぐに止まった。ただ、僕の咳は痰が絡んでいるため、恐らく止めてはいけないタイプである。そうなると、治りが遅くなりそうな気もする。
とにかく家でゆっくり温かくして過ごし、さっさと治してしまおうと思うのだが、ずっとベッドで横になっていることも出来ず、何か映画でも見ようかと思い、イタリア語の映画は理解出来なさそうなので、日本語の映画を探すが、特に見たい物が見つからない。映画を見るという考えをやめ、映画を流していようと思い、久し振りに宮崎駿のビデオを手に取った。僕が持っているのは一番新しい物でもののけ姫だが、まずはトトロから流すことにする。結局流しているだけということは出来ず、見てしまうのだが、やはり昔ほどには心に来るものがない。昔と殆ど変わらない気持ちで見てしまえるのは主人公の女の子達だ。ナウシカはまだ年齢的にも高そうなので問題ない(?)が、メイやキキに対しても未だに昔と変わらない淡い想いを寄せてしまうのは、僕が子供なままなのか、それとも主人公の女の子達に世代を超える魅力が備わっているのか、ただ単にアニメキャラが好きなだけなのか、よく判らない。
アニメ素人の僕が勝手に思うことなのだが、宮崎駿って実はナウシカの時点で全部言いたいことは言ったんじゃないかと思う。映画はともかく、マンガ版のほうは本当に質が高い。このマンガをそのまま長編映画として今出しても、相当支持されるんではないか。ただ、あれをそっくりそのまま映画化するというのも相当時間とお金のかかることだとは思うが、是非今の最先端技術を駆使してやって欲しい。
投稿者 tomoyuki : 10:08
29.01.07
流行性感冒
風邪をひいた。こんな機会にでもと、インフルエンザ(流行性感冒)と風邪(感冒)の違いを調べてみた。どうやら今僕が掛かっているのは、インフルエンザであるようだ。
イタリアでは、インフルエンザという言葉をやたらによく聞く。なんとなく、風邪とインフルエンザを同意に置いて、より悪いイメージのあるインフルエンザを多用しているように感じる。もしイタリア人のインフルエンザが、本当にインフルエンザのみであったとすると、えらい混乱が起きかねない。
日本では逆で、風邪という言葉のほうがより使われるのではないだろうか。もちろん医者などはその辺のことはきっちり分けるのだろうが、病院に行く時間がなかったりする人は、たとえインフルエンザであってもただの風邪、と言ってしまうのではないか。
ちなみに、「インフルエンザ」という言葉はイタリア語らしい。
投稿者 tomoyuki : 10:26
25.01.07
雪
今冬、初雪。先程まで霙っぽかったのだが、今は完全な雪。今晩降り続いて、明日積もってくれないかしら。明日は完全防寒で撮影。
僕が働いている職場には、よくセールスマンがやってくる。恐らく昼間家にいたら家にも来ているんだろうが、会社であるから尚更多いのであろう。電気代安くなるよ、とか、携帯安く契約できるよ、とか、色々な人間が来るのだが、イタリアの場合、こういう訪問セールスマンは学生などのアルバイトが多く、とても浅はかな感じがする。誰に吹聴されるのか、こういう人間はとにかく友好的に振舞えばうまくいくと思い込んでいるようで、本当にただただ友好的である。まず、誰に対してもタメ口で喋り、強制的に握手を求めてくる。まずは友達になって相手の不信感を払拭しようと考えているようなのだが、これが全く逆効果で、どちらかというと非常に怪しい。僕のような若い一社員であれば兎も角、会社の社長であろう人間に対しても同じテンションでいってしまうので、こちらとしては嫌悪感しか抱かない。親しき仲にも礼儀ありなんていう諺はイタリアには存在しないのかもしれないが、それにしてもああ迄無知丸出しで来られると呆れるしかない。嘘も平気でつく。それも、日本であれば嘘すれすれの嘘をつき、逃げ道まで用意してあるのが普通だと思うが、こっちは後で調べれば必ずばれてしまう小学生の様な嘘を平気でつく。
今日来た男は特に酷く、まず自己紹介をしないので一体誰なのかわからず、何のために来たのかもよくわからず、ものすごい早口で説明するので何を言っているのかもよく解らない。なんか、何の前触れもなく勢いで押し切ってしまおう、みたいな感じだったのだが、そんなんで契約取れるわけがなかろう。なんでこちらが敬語で話しているのに、向こうがタメ口なのだ。相手にするのも馬鹿らしいので強引に帰ってもらったのだが、後には不快感しか残らなかった。
投稿者 tomoyuki : 10:51
24.01.07
アシスタント
一昨日、昨日と、何年か振りにアシスタント的な仕事をした。今回は外でのMovie撮影のアシスタントだったのだが、前回と同様、自分はアシスタントに向いていないと実感する。その理由は、まず三脚などの、撮影に必要な機材が重過ぎて持ち歩けない。そして、100%アシスタントに徹することが出来ない。
まず三脚などの機材だが、ヴィデオカメラ専用の機材となると、写真カメラのそれとは大きさも重さも全然違う。持ち上げて、担ぐことは出来るのだが、そのまま100メートルも歩くことが出来ない。あまりにも非力なのだ。スタジオ撮影の場合、担いで歩き回るということがないので、この問題は起きないのだが、外での撮影の場合、アシスタントの仕事といえば、この重い機材を運ぶのがメインだったりする。そしてスタジオ撮影の場合も、非力から来る違った問題が起こる。それは、照明や、バックに使うロールを固定するための器具に付いているネジレバー(?)を強く締めたり、あるいは強く締めてあったものを外すことが出来ないのである。無理をして、しょっちゅう手首を傷める。あと、僕は見た目がもう非力そのままなので、カメラマンのほうにも不安を感じさせてしまうようで、僕が重い三脚などを持とうとすると、「あぁ!いいよいいよ!俺が持つから、君はあっちを運んでくれ!」と、軽い荷物を持たされてしまう。こういうのをあまり気にしないカメラマンもいるにはいるのだが、大体のカメラマンは、「使えねーなぁ、こいつ」という顔をする。
そしてもうひとつの理由である、アシスタントに徹しきれないということだが、これはもう集中力とか、気持ちの切り替えの問題だと思うのだが、僕がアシスタントをする時は、どうしてもカメラマンから業を盗んでやろうとか、どういう風にモデルをノセているのかとか、試し撮りポラの出来はどんなんだろうとか、そっちのほうに気を取られてしまい、アシスタントとしてやるべき仕事に気づかないことが多い。不器用というか、モチベーションが不純というか、駄目駄目です。
そんなこんなで、僕が同じ人間から2度呼ばれることはない。
投稿者 tomoyuki : 09:41
23.01.07
オレンジ
最近、オレンジにハマッていて、よく食べる。皮が薄くて剥きやすいものではなく、皮が厚くて食べるのが面倒なほうである。日本では皮の薄いほうをよく食べていた。それで十分美味しかったし、皮の厚いほうはとにかく面倒で毛嫌いしているほうだった。こちらは、気のせいかもしれないが、皮の薄いほうはあまり美味しくない。甘くもないし、酸っぱくもない。で、なんとなく、それまで敬遠していた皮の厚いオレンジを買ってみた。それも、イタリアやスペインでよく見る、レッドオレンジだ。見慣れないとビックリするが、皮を剥くと果実が赤い。それも、鮮やかな赤というよりは、ドス赤い。動脈よりは静脈のほうが色的に近い。しかし、これが本当に美味い。皮を剥くのは面倒だが、それだけ手間をかけても良いと思うくらい、美味い。今までなんで食べなかったんだろうか。
投稿者 tomoyuki : 10:06
22.01.07
滞在許可証更新
今日、毎年恒例である滞在許可証の更新を行った。去年の暮れにまた(ほぼ毎年変わる)法が大きく改定され、今度はこれまでのように、朝の5時に警察署の前に並び、4時間ほど立ったまま外で待たされ、中に入ってからまた更に3時間ほど待たされるということがなくなった。朝もまだ暗い時間から外国人が100人近く警察署の前に立ち並んでいる景色は、ちょっと異常であった。国籍や年齢や性別、関係なく、ほぼ全員が経験する(お金がある人達の中には例外もあるようだが)。妊婦に対しても全く同じようにさせる。イタリア生活で一番最初に経験する、一番辛い法手続きで、学生はこれを一年に一回、必ず行わなくてはならなかった。ただ長時間待って、その努力が必ず報われるのであれば問題ないが、8時間待たされた挙句、「これが足りないから改めて来なさい」と一言で返されることも少なくなかった。その場合、また日を改めて8時間待つことになる。僕も経験がある。更に、書類を受け取ってもらったのは良いが、何ヵ月後に取りに来なさいと言われ、行った挙句、結局貰えなかったという話も聞いたことがある。とりあえず、人間として扱われていない感があった。
で、今回はどう法が改定されたかというと(これが定まるかどうかはまだ定かではないが)、窓口が警察ではなく、郵便局になった。郵便局に、必要書類が入った封筒を貰いに行き、そこに入っている書式に必要事項を記入し、パスポートのコピーや学校の許可証などのコピーなど必要なものを同封して再び郵便局に行き、いくらかお金を払ってローマに送ってもらう。そして、それからどのくらい経ってかは分からないが、家のほうに”何か”が届くので、その”何か”を持って警察に行き、滞在許可証を受け取る、という運びになった。
で、僕達にとってのメリットは、もう朝早く起きて警察に行く必要がなく、何時間も待たされる必要もなく、自分のペースで準備が出来るようになったということだ。これは女性や子供には特に助かることであろう。
で、今回に限ってのデメリットは、初めてということもあって、色々と不安なことが多い。例えば、送ったは良いが、万が一書類が足りていなかった場合、きちんと知らせてもらえるのか、そのまま捨てられてしまうことはないのか。書式にはきちんと記入できているのか、警察署に取りに行く際に、また何時間も待たされることにはならないのか、というか、いつ”何か”が届くのか、などである。
まあでもとにかく、準備した物は全て受け取ってもらえ、あとは待つだけになるので、ホッとしたにはした。ただ、やはりまだ郵便局のおばちゃんのほうが、何をするべきなのかわかっておらず、最初はなかなか受け取ってもらえなかった。多分、誰もわかってなんかいないのだろう。郵便局のほうでも急にそんな仕事が自分たちに回ってきて、それも全てにおいて説明不足であり、戸惑うのは仕方がないし、気持ちはよーくわかる。
そういうことはわかっているのだが、こっちも結構ドキドキしながら行くので、スムーズに受け取ってもらえないとどうしてもイライラしてしまい、そこは本当に反省するべきところだろう。彼らは本当に知らないだけで、誰に訊いてもちゃんとした答えが返ってこないだけなのだ。それに対してイライラしてしまう自分は本当に忍耐が足りない。「忍耐が品性を生み、・・・」という聖書箇所があるのだが、本当なのだろう。今年の目標、というか人生の目標にしても良いかもしれないが、得るべきものは「忍耐」である。
投稿者 tomoyuki : 09:25
19.01.07
朝
イタリアのアパートには、大体一棟につき一人、管理人というか、門番というか、掃除婦(夫)の人がいる。僕の住んでいるアパートには、管理人はいないが、掃除夫が一人いる。恐らくイタリア人の男性で、毎朝早い時間にアパートまで来て、中庭を掃除し、住人の捨てたゴミを表に出す仕事をしている。で、週に2回ほど中庭を掃除する際、ホースを使って水洗いするのだが、そのホースの繋がっている水道が、どうやら僕の家の水道と繋がっているようで、彼が水を出すと、僕の家の水の量が激減する。いくら蛇口を捻っても、チョロチョロとしか出てこなくなる。で、問題は、彼が水を使う時間が、僕のシャワーを浴びる時間と被るということだ。想像するに、僕のほうでもこれだけ水の勢いが弱まるのだから、彼のほうでも相当に水の勢いが弱っていることだろうと思う。そしてさらに想像するに、僕のほうでもいきなり水が出てこなくなってちょっとイラッとしてしまうから、彼のほうも結構いらついているのではないかと思う。そのせいか、その週に2日ほどの、水を使う朝は、僕が家を出るときに彼に挨拶をしても、返事が返ってこず、無視される。水を使わない日でも、かなり無愛想な男性なのだが、それに拍車が掛かる。どちらかが妥協をするという方法もあるが、そうなると、僕が妥協するべきなのだろう。彼は仕事としてやっているわけだし、時間に都合がつけやすいのも僕ではなかろうか。もしくは、彼が水を使い始めたら僕がその時だけお湯を止めるということも出来るだろう。ただ、僕の家のシャワー室はやたらに寒いので、夏はともかく、冬は一瞬でもお湯を止めることが出来ない。彼との関係を拗らせたくないし、気のせいか、僕の家の前だけ他の場所に比べてやたらに汚いというのも回避するために、妥協策を考えたほうが良いかもしれない。でも、30分早く起きてシャワーするのもきついんだよなぁ。朝シャワーしないと一日中目が覚めないしなぁ。
コメントスパムが増えてきたので、残念だがコメント欄を消すことにした。コメント欄があろうとなかろうとどっちにしろコメントされないのだが、コメント欄がないだけで、気持ち的に一方通行な恋愛をしているようで寂しくなる。
投稿者 tomoyuki : 11:17
18.01.07
インスタント写真機
滞在許可証更新の時期がやってきたので、必要な書類やら何やらをかき集めている。で、今日証明写真を撮った。地下鉄構内にあるインスタント写真機を使って撮った。4枚で3ユーロ。日本円に直すと400円以上強で、結構高い。で、3回まで取り直しができたので、3回撮り直したのだが、その挙句、出来上がった写真の隅のほうに思いっきりカーテンが写っていて、愕然とした。3回も撮り直しているくせに自分の写りばかりに気をとられて、それに気づかなかった自分にも腹が立つが、その写真機にも腹が立つ。カーテンが写りこまないくらいのスペースは確保せーや、と。家に帰ってスキャニングしてフォトショで加工しようかとも思ったが、面倒で、結局6ユーロ払ってもう一回撮り直した。こんなことで1000円・・・。
投稿者 tomoyuki : 11:42
17.01.07
また・・・
早くもコメントスパムが届き始めている。嫌な予感だ・・・。エントリーが増えすぎる前にコメント欄を削除したほうが良いかもしれない。どっちにしても殆どコメント寄せられないし。
投稿者 tomoyuki : 12:34
14.01.07
偽警察。
教会に行くためのバスを待っているとき、目の前に車が止まり、助手席に乗っていた人から「Buon giorno」と声をかけられた。なんだか顔がにやけていたのでジャンキーがちょっかい出しに来たのかと思ったら、突然「パスポートを見せなさい」と言われた。僕はバスを待っていただけなので、「は?」と思い、車の中を覗き込むと、助手席に一人、運転席に一人、どう見てもイタリア人ではない人間が乗っていて、助手席の男のほうは、警備会社っぽい服を着ていて、腕にはイタリアトリコローレのワッペンみたいなものが貼ってあった。一瞬警察かと思ったが、どう見てもアラブ系の二人と、下手糞なイタリア語のせいで、かなり怪しい。助手席の男のほうが、警察手帳のようなものを出してきて、一瞬だけ見せられたのだが、その手帳もすごくうそ臭い物で、これまたその辺の店に売っているワッペンが貼ってあり、あとはなんだかわけのわからない紙切れが入っていた。で、何度もしつこくパスポート見せなさいと言われ、でもこれでパスポートを渡したらそのまま車が急発進するのだろうと思い、そういう話も聞いたことがあったので、逆に「そちらの身分証明書を見せてくれたら、見せますよ」と言ってみた。本物の警察であれば多分見せる義務があるのだろうが、その二人はどうしても見せようとはせず、こちらに対してパスポート見せろ、とばかり言ってくる。こういう時、大体警察はこちらに対して敬語で話しかけてくるのだが、この二人は思いっきりタメ口で、だんだん僕も腹が立ってきて、気安くタメ口きいてるんじゃねーと、口調が崩れ「なんであんたらに見せなきゃいけないんだ」的なニュアンスを口にすると、こいつは駄目だと思ったのか、走り去ってしまった。まあ、おそらく偽警官だったのだろうが、こちらは敬語で通すべきだったかもしれない。反省。
念のため、車のナンバーを記憶した。このBlogを読むミラノ在住日本人がいるかどうかわからないが、LANCIAのファミリータイプで「AG---」で始まる旧式ナンバープレートを付けたグレーっぽい車の二人には要注意です。7年前だったらやられてたかもなぁ。
投稿者 tomoyuki : 10:23
13.01.07
Apocalypto
Mel GibsonのApocalyptoを観賞。
「パッション」に続く作品だが、ポスターがカッコイイ。一見エイリアンvsプレデターの続編かと思ったが、よく見ると人間だった。隣に貼ってあるRocky Balboaのポスターと構図的に少し被っているが、まあ、期待できるのはApocalyptoのほうだろう。
マヤ文明の衰退期を描いた作品だが、マヤ文明に関して全く知識がなかったため、勝手に3000年前の話として見ていた。ある意味それでも全く違和感なく見ることが出来るが、後できちんと調べてみると、どうやらスペイン侵入の16世紀の話であるらしい。ストーリー自体はフィクションだろうが、Mel Cibsonのことだから当時の背景描写に関しては徹底して調べ上げているに違いない。16世紀までこんなことが行われていたとは、驚きである。支配の方法が溢れんばかりの享楽であり、この享楽を受ける側の人間は麻薬のせいか、精神的に麻痺状態になっているのかもしれない。もちろんそんなに単純ではないだろうが、あんな勢いで2500年以上も文明が存続してしまうのがすごい。ホロコーストに対しても感じたが、人間って本当に恐ろしい素質を持っている。
今回もパッションと同様、暴力的な描写が多数あり、アメリカでは14歳以下は観賞禁止。イタリアではパッションに対しては年齢制限が置かれなかった。若者を中心とした教会離れが社会問題となっているイタリアでの、カトリックの意思だったのかもしれないが、Apocalyptoに対してはアメリカと同じく14歳以下は禁止。それもあって、映画館は老夫婦が多かった。老人に対しても心臓のこと考えて制限設けたほうが良いんでない?と思うくらいグロテスクな映像が多く、その度に見るに堪えないという呻き声が聞こえてくる。映画は2時間半近くあったのだが、イタリアにしては珍しく、途中休憩が入らず、後半はもう完全に皆さん集中力が切れてしまい、ざわざわしていた。イタリア人は年齢に関係なく映画が終わるまで我慢するということが出来ず、映画の途中であろうが、感じたことがあったらその場で隣の人に分かち合う。日本は映画の鑑賞中は静かなものなので、こういう騒がしさに慣れない人も多いだろうが(僕も慣れませんが)、こういうイタリア的鑑賞方法も実は映画の見方としては全然間違っていないのではないかと、最近思う。
DVDは買わないな。
投稿者 tomoyuki : 09:20
11.01.07
15℃
朝、家を出ると、驚くほど暖かい。朝刊の天気予報を見ると、今日のミラノは最低気温9℃、最高気温15℃ということ。もう、本当に雪が降らずに冬が終わってしまうんではないかと不安になる。雪の積もった墓地撮影計画を立てていたのだが、難しいか。
投稿者 tomoyuki : 09:21
10.01.07
初現像
去年末に出していたフィルムを昨日漸く取りに行った。出来は悪くないのだが、やはり三脚無しで曇り空の下、撮影をするのは無茶か。ぶれているものが多くある。そして、逆光撮影は相変わらず下手糞だ。ISO400にするべきか、重くても三脚を持っていくか。
あと、これは慣れていないせいかもしれないが、6x6で撮影すると、構図的にはなんだか矢鱈に真面目な写真になってしまう。上から覗くからというのもあると思うのだが、35mmを使うときのように、もう少し遊べたら良いのになぁ。これで三脚なんて使おうものなら、さらに融通のきかなさそうな写真になってしまうかもしれない。
Napoli滞在中に知り合った写真家は5人。中、レディースは一人だけだったのだが、4人のメンズ写真家は揃って僕の写真の構図に対して突っ込んだ。男はきっちりした構図作りが好きらしい。垂直、平行。それに対して、女性は「垂直か平行かなんてどうでもいいわよ、なんで男って構図にばかり拘るのかしら・・・」と言っていた。僕の写真はそういう意味では女性的な写真と言えるかもしれない。まあ、生まれつき手が震えるから、そのせいだとも思うのだが。
そろそろ仕上がったカラー墓地をプリントして、サイトのほうも充実させていかなくては。
投稿者 tomoyuki : 11:59
08.01.07
帰還
本日より、またミラノがいつものミラノに戻った。ヴァカンスに行っていた人達のほぼ全部が戻ってきて、電車も先週の閑散が嘘のように満員御礼。まだ皆さんすっきりした顔をしているが、これが段々とやつれていくのだろう。そして僕もやつれていくのだろう。
投稿者 tomoyuki : 12:00
04.01.07
プロラボ
去年の年末、ヴァカンスに入る前に撮り貯めた中版カラーポジを持っていつも使っているプロラボに行った。普段であれば、現像だけなら2時間ほどで仕上げてくれるのだが、8日まで出来ないと言われた。まあ、年末は忙しくなるだろうから年明けにはなるだろうなと想像はしていたのだが、まさか8日になるとは思いもしなかった。7日までヴァカンス休業だという。本当にプロラボか?僕は個人的な写真なので良いとしても、プロの方々は大丈夫なのか?このラボのサイトを見ると、24時間受け付け(営業)も考えていると書いてあるのだが、年末年始休業がこんなに長いところを見ると、それは夢のまた夢であるように思われる。
気持ちはあるにはあるのだが、行動が伴わないことはよくある。それで相手に期待させてがっかりさせてしまうこともしばしばだ。それなら余計なこと言わなければいいのに、と思うのだが、自分としては、今年は喋り過ぎ癖を何とかすると共に、言ったことはきちんと行動として示せるようになりたい。それが大人ってものだろう。
「責任」という言葉が否定的な意味しか持たないこの国で、責任を全うしていくことはとても大切なことのように思われる。くれぐれも、お国柄に流されて、自分まで無責任な人間にならないようにしなくては。
それにしても、8日まで待てない。
投稿者 tomoyuki : 10:47
03.01.07
書類整理
年が明けてから、職場では書類整理に明け暮れている。2006年の溜まりに溜まった領収書やら何やらを整理しているのだが、結構大量にあり、今まで全く整理されていなかったので、日にち順に並べるだけでも相当な時間を費やす。こういう仕事は、もう無駄の浪費で成り立っているようなものだ。もちろん大切なことではあるのだが、一度並べたものを社長に見せに行って「これは駄目」「これはオッケー」などと選択され、また初めから並べ直したりする。それを何度か繰り返さねばならず、普段からきちんと管理していれば、相当な手間と時間を省けるんだろうなぁ、と思いながら、それでも一つ一つこなしていく。2007年はきちんと整理していこう。
これでまた事務的なマイワークが1つ増えた。まあ、カメラマンは写真をとっている時間よりも事務的なことやっている時間のほうが多いと、プロのお方も言っているので、今からこういうものに慣れておいたほうが良いのだろう。
投稿者 tomoyuki : 09:53
02.01.07
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございました。
こちらは8日まで冬のバカンスで、今日の通勤電車も空いていた。良い。
投稿者 tomoyuki : 16:27
30.12.06
今年最初で最後のスキー
前日に、「今年はスキー無理かなぁ」と書いていたら、その次の日に社長からスキーに誘われ、二人で行ってきた。男同士だが、社長と二人でどこかに行くというのは初めてで、ちょっと緊張した。場所はアオスタ州のPILAという、フランスとの国境にあるスキー場だった。ミラノからは車で3時間ほどのところにあるのだが、日帰りで行くにはちょっと遠い。と、免許を持っていない僕が言うことは出来ないのだが、往復約6時間の車の中で、一体何を話せば良いのか、前日の夜はそんなことばかり考えていた。結果的には僕が心配する必要もなく、社長のほうからどんどん話しかけてきてくれ、そこそこ弾んだ。きっと僕のほうが勝手に壁を置いてしまっているだけなのだろう。
スキー場は冬のヴァカンス時期ということもあって、結構混んでいた。スノーボーダーも多く、滑りにくい。休み休み滑ったので、筋肉痛もなし。大体標高2000m位のところで滑っていたのだが、ワインを飲んでから滑ると加速感が増してオッカナ興奮できる。
夜は社長が韓国料理屋でご馳走してくれ、忘年会。良い機会になったと思う。ありがとうございます。
投稿者 tomoyuki : 14:39
28.12.06
零下
イタリアは30年振りの暖冬らしいが、ここ一週間ほどで漸く街の温度計がマイナスを指し始めた。今朝はマイナス一度。昨日は一日中かなり濃い霧が出ていて美しかった。そういう日に限ってカメラを家に置きっぱなしで後悔することが多い。去年までは毎日フィルムカメラを持ち歩いていたのだが、仕事で写真を撮るようになってからそれを止めてしまった。持ち歩いていた小型Minoxの調子が悪くなったせいもある。毎日毎日取り留めのない日々の写真を撮り溜めるのも良いが、金銭的な問題と、何も考えずにただ撮り続けることへの疑問がふと湧いてきた。仕上がったシートベタを見ると、良いなと思う写真はあるにはある。何十年か撮り溜めればそれなりに質の高い写真集的なものも出来上がるかもしれない。ただ、なんだか最近はそういう気分にもなれず、それよりも、的を絞り、考えに考えてから狙いを定めて撮ることを学ばなければと思い始める。
今年中にスキーは無理そうだが、来年になってから一度は行きたいものだ。誰か企画してくれないかしら。去年の冬、10年振りくらいにスキーに戻ってみた。中学に入ってから、スノボーを始めた。それまでは、父が元々スキーのインストをやっていたこともあり、ずっとスキーだった。中学に入った頃からスノボーが流行りだし(とは言っても両親が新婚旅行でカナダの山に行った時にはすでにスノボーをやっていたというから、日本で流行りだしたのは結構遅いのかも)、僕もその流行に呑まれてスノボーを始めた。スキーよりもかなり危険なスポーツだと思うのだが、それでも10代の頃は楽しく滑っていた。イタリアに来てから雪山に行く回数が激減し、4年程前にこっちの山でスノボー再開。しかし、ほんの少しブランクがあっただけなのに、昔のように滑ることが出来なくなっていた。それも、10代の頃に比べて自分がかなり臆病になっていることに気づいた。どうしても重心が後ろに掛かってしまうのだ。だから、その分転ぶ回数が増え、肉体的な消耗も激しい。去年の冬に遂に音を上げ、スキーに戻ることにしたのだ。10年振りできちんと滑れるかどうか、どう滑るのか覚えているのか不安だったが、さすがに小さな頃に覚えたものは忘れない。長野県人にとっては自転車みたいなものである。スキーとは言っても最近はもうカービングが主流なようで、レンタル屋さんでも昔のような普通のスキーはもう置いていない。昔の真っ直ぐなスキー板に慣れた人間にとってはカービングスキーは子供の玩具みたいなもので、もう自由自在なものである(あくまでもアマチュアレベルでの自由自在)。かなり楽しい。全く転ばない。ジャンプとかし放題。来年も是非。
投稿者 tomoyuki : 09:45
27.12.06
ユダヤ
先日、シンドラーのリストとミュンヘンを改めて見たのだが、やはりイタリア語では理解しきれない。そこで、ユダヤ人のことをもっと知ろうと、ウィキペディアで検索したのだが、テーマが深すぎて、リンクの泥沼に嵌った。興味を持って調べていると結構耐えられるものだが、それでもどこまで行ってもゴールが見えない対象を追いかけているようで、疲れてしまった。それにしても、ウィキペディアのシステムってどうなっているのだろう。投稿されたものはきちんと裏を取るのだろうか。
投稿者 tomoyuki : 13:19
23.12.06
お詫び
先日、靖国問題という本を読んで僕が思った事などを書いたのだが、僕の文章を読んで疑問に思う人はもちろん、不快になる人、傷つく人がいると思う。その事についてお詫びしたい。特に、戦争を経験している人が周りにいる人達が読んだら、不快になるだろう。クリスチャンの中にも不快になる人がいるだろう。「こいつ、なんもわかっていないな」と思う人もいるかもしれないが、それはその通りだ。僕の周りには戦争を経験していない人がいないわけではなく、祖母などはしっかり経験している。しかし、僕はその事について祖母と積極的に話した事が無いし、祖母も僕に対して積極的にその時の話をする事もない。質問すれば答えてくれるかもしれないが。祖父が一人でも生きていればもう少しそういう話を聞く機会も増えたかもしれない。もし僕が直接そのような話を聞いていたら、今回のような事は書かなかったかもしれない。書けなかったかもしれない。もちろん当時国のために亡くなった戦死者の血に価値がないとは思っていないし、事実、そういう人達のお陰で今僕が生きていて、ある意味、命に関しては何の心配も無く生きている(何時どうなるかわからないのだろうが)。だが、正直、僕には50年前の出来事が、どうしてもリアルに感じられない部分があるのも確かなのだ(それが一分前に起こったことだとしても経験していなければわからない。今の中東の事などがそうだ。テレビで見て、死体が道端に転がっている映像を見ても、それ自体は僕からとても遠い)。今回のように、本を読んだり、人から話を聞いたりしていても、その時何があったのかは知る事が出来るのだが、その時生きていた人達がどのような精神状態だったのかとか、どう考えていたのかとかは、本当の意味で理解するのは難しい。
幼稚園の卒園文集の、「親の一言」の欄に母は、「トモユキは人の気持ちが解からない。人が傷つくということを知らない。その事をもう少し理解するように」と書いてある。幼稚園児にこんな事を言ってもどこまで理解できるのか怪しいものだが、おそらく母は、僕が大人になった時にそれを見ることを想定して書いたのかもしれない。そういう意味では、母の思ったとおりになった。とにかく、幼稚園児の時から僕は人の気持ちが解からないようなのだ。人の立場になって物事を考えるという事が出来ない。それはいい加減自分でも理解しているのだが、正直どうすれば良いのかわからない。どうすれば人の気持ちが理解できるのかがわからない。実際に、可能であるならばその人と全く同じ状況に陥ってみない限りは、その人の気持ちはわからないのだ。しかし、その人のことを知りたいから、その人と同じ立場になってみるというのも、出来ることもあるだろうが、しない。だから、ある程度自分以外の人のことが想像できて、きちんと配慮できる人はすごいと思う。
当時のクリスチャンの人たちに対しても同じことが言える。僕は実際に色々な方向から圧力があった時のことがわからないので、簡単に裁けてしまう。それは今の牧師や宣教師に対してもそうで、彼らは僕のような一般信徒がある意味何の苦痛も無く信仰生活を続けているその裏で、本当に沢山のことと戦っているに違いない。僕はそのような事に殆ど気づく事も出来ず、もしかしたら気づこうともせずにいるのかもしれない。
キリストは、僕達のことを知るために、僕達よりもずっと下の立場として生まれてきて、ずっと下のまま十字架に付けられた。実際に、僕達よりも更に酷い立場に立ってみて、僕達を理解しようとした。
これからも、文章を書いていく限り、僕は色々な人を傷つけてしまうことがあるかもしれないが、「配慮」というものは身に付けたいものだ。
明日はクリスマス・イヴ。イエス・キリストの誕生を記念する日。
投稿者 tomoyuki : 16:15
21.12.06
靖国問題ー2
昨日、戦時中の靖国に対する日本クリスチャンの反応について書いたのだが、その中で、「血」について語っている部分がある。当時、精神的にも社会的にも追い込まれていたであろう日本キリスト教の司教(祭司)達は、イエスキリストの流した「血」と、戦争で亡くなった軍人の「血」を同等に置いた。同じように敬意を払うことで、母国のための戦争にも積極的に参加していったという。このことに対しても当時のクリスチャンを攻め立てるのはとても簡単なことで、神自身であるイエスキリストが我々のために流した血と、国のために軍人が流した血とは、同等ではありえない。正直、こんなことはワザワザ僕が言わなくても、キリストを信じた者であれば誰でも容易にわかることである。その根拠となる聖書の箇所を開けと言われれば、すぐに開いて提示することもできるだろう。というか、実際に当時のクリスチャン同士の話し合いの中で、こんなことは当然指摘されていたに違いない。それでも、結果として司教(祭司)達は、それを無視せざるを得なかった。そして、聖書の別の箇所を捻じ曲げて解釈することになった。社会に呑まれてしまったわけである。
このようなことは現在でもありうることで、僕は結構陥りやすい。信仰が弱いと言われればそれまでなのだが、例えば、聖書に書いてあることをそっくりそのまま行っていると、現在では単なる「常識知らずの礼儀知らずの話が通じない人」で終わってしまう。特に日本ではそうなりやすい。聖書が書かれた時代と今の時代では、状況があまりにも違う。イスラエルにでも行けばまだまだ聖書に忠実に生きている人も多くいるし、それが可能であろう。
しかし、だからといって今の世の中で聖書通りに生きるのが不可能かといわれたら、どうやらそうでもないようである。僕の周りのクリスチャンの中にも、きちんと信仰を守って生活している者がいる。牧師や神父でなくてもだ。
僕の場合、社会生活していると、すぐに反聖書的な場面(今の世の中は反聖書的なことで満ちている)にぶつかり、挫折(御言葉は頭に浮かんでいるのだが見ないことにしてしまう)することが本当に多い。しかし、イエスキリストはそんなことも全部知っていて、それでも信仰を保ちなさいと言っている。大切なのは、世の光となり、塩となることだ、と。それはあなたにも可能ですよ、と言っている。
投稿者 tomoyuki : 09:21
20.12.06
靖国問題
今、友人から貰った「靖国問題」という本を、興味深く読んでいる。この本の中には当時の日本キリスト教と靖国との係わりについても書いてあり、特にそこで感じることは大きかった。クリスチャンの行動としては「それで良かったのか?」と責める気持ちが一番に湧いてくるのだが、この時代の日本のクリスチャンは今のクリスチャンとは全く違った大きな問題(試練)を抱えていたのだと思うと、自分は一体どうするだろうと考える。goo辞書(できれば広辞苑などをひきたいのだが、手元にない)で「参拝→拝む」というのをひくと、「神仏など尊いものの前で、手を合わせたり礼をしたりして、敬意を表したり祈ったりする」と書いてある。聖書的にはこれは「偶像礼拝」、もしくは「他の神を崇める」という十戒にも書いてある罪だと思うのだが、自分がこの当時生きていたとしたら、やはり周りに流されて参拝していたのではないだろうか。「カタチだけ参拝する振りをすればいいや」なんてことも思うのだが、それで罪に定められないかというとそうではないような気がする。もちろんキリストはそのような人間の考えることは全て見通しているのだろうし、赦してくれると思う。というか、そのようなことも全て含めてクリスチャンは既に赦されている。だが、問題はそのような罪と定められるであろう行動をとった後に、自分がそれについてどのように自分を裁くかであろう。靖国参拝を拒否して殺されるということはなかったであろうが、「踏絵」と似たようなところもあると思う。遠藤周作が「踏絵」について、自分ならどうするかと書いているが、僕も遠藤周作の意見に近いものを持っている。ただ、その後自分の犯した罪に対して、自分がどのような判断を下すかは、実際にそのような状況になってみないとわからないが。「罪」であるというのは明確なのだが、「罪」というのも一言では言い表せないものだと思う。
投稿者 tomoyuki : 11:26
15.12.06
ストライキ
昨日の新聞の記事に、「イタリアでは一日平均3回のストライキが行われている」と書いてあった。おそらく世界ダントツ一位ではないだろうか。その中でも回数が多いのはやはり交通機関である。ストライキをやるならやるで、その結果を国民にも提示して欲しいものだが(僕はイタリア国民ではないけれでも、被害を被るということでは同じだろう)、一度もされたことがない。少しでも労働条件は良くなっているのか?給料は上がっているのか?など、多数疑問が残る。とりあえず、目に見えるようには5年前から変わっていない。
投稿者 tomoyuki : 13:38
14.12.06
Amsterdam_2
アムス旅行記第2弾ということで、空港の話をします。
昨日も書いたが、今回はEasyjetを使わせてもらった。イタリア出国の際、なんとなく判っていたのだが、まあ何も言われなかったら運が良いということで、液体を機内に持ち込もうとしてみたが、やはり駄目だった。セキュリティーチェックの際、女性検査官に「こっちに来なさい」と隅のほうに連れて行かれ、バッグの中を調べられた。液体の他には衣類、カラスミ、干し肉、カメラ、洗面用具などを入れていた。液体とは、先日Artigiano(クリスマス前に毎年行われる名産市)で買った矢鱈に旨いバルサミコ酢だった。このバルサミコと、カラスミ、猪の干し肉は、父、そして友人のための土産だった。「100ml以上の液体は持ち込めない。チェックインカウンターに戻って荷物を預けるか、捨てるかしなさい」と指示された。これからまたチェックインカウンターに戻るのも嫌だったので、泣く泣くバルサミコ巣は捨てることにした。しかし、笑い話として、没収した物は空港の奴らが持ち帰るという話をよく聞いていたので、「もし良かったら使ってください。美味しいですよ」と冗談で言ってみたのだが、思いっきりシカトされた。初めからそのつもりだったのかもしれない。
あと1つ、出発の際のエピソードとして、何の理由も説明されずに出発が2時間遅れた。周りのイタリア人の話を盗み聞きしていても、誰一人として遅れている理由を説明された人間はいないようだ。漸く機内に搭乗すると、出発前の機長の挨拶がアナウンスされたのだが、ここでも2時間遅れたことを詫びてはいるのだが、理由を言おうとしたところで口篭っていた。何故だ?何か言えない理由なのか?まさか、寝坊か?周りのイタリア人は笑いながら「早く出発してくれよ」と急かしていた。周りの乗客を見ると、まあ先入観もあるかもしれないが、やはりマリファナやる為に行きそうな若者の集団が多い。男だけのグループも何人かいて、やはりこの人達は女を買いに行くのだろうか、と色々想像してしまう。パリ行きの飛行機に乗っている乗客とは全くタイプが違う人間が多いのは確かだった。
ミラノに帰る際のアムス空港での話。
友人夫妻が空港まで付き合ってくれた。アムス空港はヨーロッパでも比較的新しく、大きな空港らしい。Easyjetのチェックイン・カウンターでチェックインを済ませる。チェックインカウンターでは、搭乗ゲートは「H」であると言われ、チケットにも「H」書かれた。搭乗時刻が近づいてきたので、友人と別れ、Hゲートに向かい、パスポートコントロールに行った。コントロール官は僕のパスポートに貼ってある数枚の就学ヴィザを見て隣の男性と何か話していたが、結局何も訊かれずにコントロールはパスした。あとは搭乗口に向かうだけで、時間も少し余裕があったので免税店を廻った。特に欲しいものもなかったし、ヨーロッパから出るわけではなかったので免税もされないため、冷かすだけだった。
さて、そろそろ搭乗口に行っておくか、と思い、「H」と書いてある矢印に向かって歩いていく。ここの空港はやはりかなり広いようで、歩いても歩いてもなかなか「H」に着かない。それでも漸くそこまで辿り着き、モニターを見ると、「H」ゲートは1から8まであった。セキュリティチェックを通過し、再びそこにあるモニターを見て、何番かなぁ、とミラノ行きを探してみるのだが、ミラノ行きが見つからない。何度も何度も探してみて、実際に1から8までのゲートに行ってみたりもしたのだが、ミラノ行きがない。焦った。そういえば、もうこんな時間だというのに周りにイタリア人らしき人もいないし、イタリア語も聞こえてこない。改めてボーディングチケットを見てみるが、そこには確かに「H」とはっきり明記してある。しかし、これはおかしいと思い、近くにいた空港職員に拙い英語で話しかけると、「私は何もわからないけど、確かにミラノ行きはここではないようね。一度戻りなさい」と言われた。ここではない?じゃあ、いったい何処なんだ?戻るって、何処まで戻ればいいんだ?
でもとにかく、Easyのチェックインカウンターまで戻って確認しようと思ったのだが、パスポートコントロールを通過して、出国スタンプまで押されてしまったので、そこまで戻ることができない。しかしとにかく戻ってみようと思い、また長い道のりを引き返す。この時既に出発時刻まで30分ほどしかなかったで、走った。搭乗口に向かって走る乗客は沢山いるが、戻るために走る人間はあまりいない。途中で、全フライトのスケジュールが乗っているモニターを見つけたので、ミラノ行きを探してみると、搭乗ゲートに「M1」と書いてあるではないですか。血の気が引いた。「M」ゲートは、「H」ゲートとパスポートコントロールの場所が違うのだ。だから、そこからそのまま「M」ゲートに向かうことなどできないのだ。また一度、オランダに入国しなくてはならない。時間もない。とにかく入国ゲートを探そうと思い、また走った。しかし、出国ゲート内に、果たして入国ゲートがあるのだろうか。ないのではないか、という不安が頭を過ぎる。でもとにかく探しに探して、見つけた。あった。すぐにそこのお兄さんに事情を説明するが、かなり焦っている上に半泣きで、英語もままならないので、始めのほうは、「何言ってるんだ?」という顔をされた。でもとにかく、英語の単語とゼスチャーを織り交ぜて必死に説明していると、漸く理解してくれたようで、「早くそこに向かいなさい」と、入国スタンプを押してくれ、「M」ゲートまでの道のりを説明してくれた。再び走る。階段を駆け上がる。「M」ゲートを見つけ、半泣き息ゼイゼイでパスポートコントロールに突っ込む。一瞬、何だこいつという顔をされたのだが、僕があまりに哀れに見えたようで、すぐに状況を理解してくれ、荷物検査もそこそこに、通過させてくれた。そこでまた、出国スタンプを押された。今日だけでアムスのスタンプ3つゲットだ。またまた走って「M1」ゲートに向かう。そこに到着すると、既に半分以上の乗客が乗り込んでいたが、何とか間に合った。あんなに寒かったのに、あんなに汗掻いていたのは僕だけだった。まあとにかく、間に合ってよかったです。スピルバーグの「ターミナル」の主人公と似たようなことになるところでした。
これがイタリアの空港だったと考えるとゾッとする。たとえこちらがイタリア語を話せても、とにかく「責任」という言葉にネガティブなイメージしか持っていないイタリア人は、僕のような困っている人間に対しても、自分の責任を逃れるために助けてくれないという可能性もあったかもしれない(実際にそういうことは多く起こっている)。オランダ人が優しくて機転の利く人間で本当に助かった。まあ、Easyのチェックイン・カウンターのねーちゃんは完全に間違えやがったわけだが。おっちょこちょいなところもあるようです。
投稿者 tomoyuki : 09:45
13.12.06
Amsterdam
4日間ほど、アムステルダムに行っていた。マリファナと女を求めていたわけではなく、父が仕事の都合でアムスに滞在することになったので、会うことにしたのだ。Easyjetで往復約130ユーロ。もっと早く買っておけばもっと安く行くこともできただろう。まあでも、飛行機に乗って往復2万弱はやはり安い。1時間半で着いてしまうし。
今回は自分ために時間を使うのではなく、父と一緒に時間を過ごすことを第一とした。結果だけ言うと、良い時間を過ごせたのではないかと思う。一度も険悪なムードにならなかっただけでも今までとは違うだろう(まあ、向こうが気を使ってくれたのかもしれないが)。観光したのだが、沢山廻ろうとしないで、行ける範囲をゆっくり見て廻り、後は会話が占めた。お互いにそれを望んでいたんじゃないかと思う。二人だけで会うのも珍しい。
僕はイタリアに来てから成長しているのだろうが、父はやはり年をとった。昔ほどのパワーを感じない。こういうものなのだろう。
父を空港で見送ってから、アムスに住んでいる友人N夫妻に会った。忙しい中、わざわざ時間を割いてくれたことが嬉しい。車で拾ってもらってから、「どこか行きたいところはあるか」と訊かれたが、正直特に見たい場所はなく、まあ久し振りにゆっくりカフェでお茶でもしながら話せたらいいなぁ、と思っていた。しかし友人N氏はどこかに連れて行きたいようで、「本当に行きたいところはないのか?」と何度も訊いてくれた。何度尋ねられてもないものはなく、こういう僕みたいな観光客が一番案内する方にとっても遣り難いのだろうと感じ、スーパーでお土産を買うのはどうかと提案してみた。友人N氏は嬉しそうに車を発進させた。
スーパーを一通り見て、それから中華に夕食に行った。奢ってもらった。ここでもゆっくり話すことができて良かった。それからN氏宅近くの飲み屋に行き、ビールを飲んだ。帰りは送ってくれるというので、少し速いペースで飲んだ。父と時間を過ごしたことで、ホッとしていたのか、本当に珍しく酔いたかった。そんなに酔わなかったけど。
明日の朝、搭乗時刻まで、また付き合ってくれるというのでその日は早めに解散した。
次の朝、僕がアムスで唯一行きたかった場所に連れて行ってもらった。何処でも良いので、墓地を見たかったのだ。N氏は自宅近くのユダヤ人墓地に連れて行ってくれた。どうやらオランダで一番古いユダヤ人墓地らしく、墓石には16--年とか書いてある。本当か?16--年って、ここにもう墓地があったってことなのか?墓地は非常に僕を興奮させた。今回は時間がないので写真は撮らなかったのだが、また来ても良いかもしれない。友人が住んでいる間にまた来よう。
それにしても、今回オランダ料理を一度も食べなかった。ほかの国の料理が充実していて、安くて旨いので、わざわざ評判の悪いオランダ料理を食べる必要もなかったのだ。ここがイタリアと違う。イタリアは自分達の国の料理に自信を持ちすぎていて、ほかの国の料理に対する心が少し狭い。まあ、実際イタリア料理は世界レベルで見てもトップだと思うが、さすがに8年も住んでいたら飽きる。そういう時、外国料理屋が少ないと、競争もないので値段も高く、味も質も上がらない。
投稿者 tomoyuki : 14:47
12.12.06
Babel
先日、Alejandro Gonzalez Inarritu監督最新作のBABELを見に行った。日本ではそろそろ公開らしい。イタリアでは珍しく、台詞の殆どが字幕だったので早すぎてついて行けず。一応、英語の部分はイタリア語に吹きかえられているのだが、殆ど英語の台詞がない。しかし、何でもかんでも吹き替えてしまうよりは、こちらの方が全然宜しい。
メキシコとモロッコの描写は僕が行ったこともないということもあって、はまっている感じがするのだが、東京の描写はやはりイマイチ。Sofia CoppolaのLOST IN TRANSLATIONを見た時も感じたのだが、外国人が東京のネオン街を撮影すると、なんだか色が暴力的過ぎて、眼が痛む。しかし、これが現実なのだろう。たとえ短期間でも自分はこんなところに住んでいたのかと、吃驚する。しかしおそらく、東京に住んでいる日本人は、自動的に視覚のある部分の能力をオフにしているのだろう。そのようなことが可能なのかどうか判らないが、そうでもしなければ、頭がおかしくなってしまう風景で、東京は満ちている。
映画字体は、きちんとわかり易いオチも付いていて気持ちが良い。DVD買いかしら。
投稿者 tomoyuki : 11:09
05.12.06
Zeiss-6x6
2眼って全てそうなのかもしれないが、ファインダーを覗いた時に見える構図よりも、実際に仕上がったフィルムに写っている構図のほうが一回り広角で出てくる。ファインダー内では特に上下がフィルムサイズでいうと各5mm程削られているようだ。確かに2眼だとファインダー用のレンズと実際に撮影するレンズの位置が違うので、どうしても覗いたままの画像が出てこない。それを考えると、なるほどよく出来ているな、とは思うのだが、これまでトリミングというものを殆どしてこなかった僕にとっては、トリミングを前提に写真を撮るというのがとても難しい。というか、ファインダーを覗いた感覚とフィルムを見たときの感覚が一致しないと、大体の場合において、もうそのフィルムを使う気にはなれなくなってしまう。しかし、プラスされる分を考えながら撮影するのも非常に難しいことだし、それならば大きめで撮ってトリミングしたほうが全然効率が良いのも確かである。慣れだな。
投稿者 tomoyuki : 09:16
04.12.06
キテイル中華街
12月に入り、ミラノの町には例年通り、クリスマスのイルミネーションが灯り始めた。日本に比べると全然お金をかけていないので見劣りするが、まあそれでも綺麗なものである。
先日中華街に行って驚いた。なんと、普通のイルミネーションに、赤い中国提灯がぶら下がっているではないですか。去年まではそんなことなかったのだが。横浜の中華街では別に普通かもしれないが、こっちの中華街はあまりイタリア人とうまく行っていないイメージがあるので、驚く。時々「中国人出て行け」的デモを起こす周辺イタリア住民のことが新聞に載るし、中華街を歩いていても、あまり感じの良い空気は流れていない。大体1キロ平米ほどの区画に中国地区を作ってしまった中国人だが、奥のほうに行くと全くイタリア語の通じない中国人が多い。恐らくこの地区の中だけで生きているのだろう。イタリア人ともコミュニケーションをとらないし、とる必要もないと思われる。僕が中華街を歩いていると時々、突然中国人に中国語で話しかけられる。「またか・・・」と思いながら、「僕は日本人です」とイタリア語で言うと、まず通じない。で、英語で言い直すと、「あー」と言ってそのまま中国語でまた話しかけてくる(なんだそりゃ?)。
で、気になるのが、この提灯はイタリア人との合意のもとで取り付けられたものなのか、それとも中国人が勝手に付けたものなのか、どちらなのかということだ。
投稿者 tomoyuki : 11:41
01.12.06
ポジ仕上がり
昨日現像に出したポジが仕上がった。ポジで見ると自分のテクニック不足が露呈する。モノクロで撮っていた時に、いかにプリントの時点での補正に頼っていたのかがわかる。やはりポジはそのままでるなぁ。逆行で撮った写真はまるで駄目である。あと、僕のZeiss二眼の固定レンズは75mm、最短距離が1メートルと、ちょっと遠い。ディテイル好きな僕からすると寄りたくても寄れないモドカシイ思いをすることも多々ある。上から除くことになるので、35mmカメラのときよりも、50cmほど視点が低くなるのにもなかなか慣れない。あとは、まだ中判を使い慣れていないため、ぶれやすい。先日一脚を買ったのだが、やはり軽くて頑丈な三脚が欲しい。Mimmoが日本で買ったというカーボン製の三脚は素晴らしく軽かった。ねだってみれば良かった。軽くて嵩張らない土台も欲しい(まあ、土台なんかは墓地内をうろついていると何かしら見つかるのだが)。
今回のミスは半分カメラのせい、半分僕のテクニック不足のせいということで、何とかカラーでもいけそうである。ただ、やはりカラーで見せられると、そこから何も湧いてしない。自分で撮るから尚更なんだろうが、モノクロは考えさせる。
投稿者 tomoyuki : 11:01
30.11.06
石像
仕事の後、ポジフィルムを収めるようのファイルを買いに行く。この国の文房具の価格の高さにももうだいぶ慣れてきたが、このあたりの物も日本で買い溜めてくるべきであった。
その帰り、Zeissの二眼を持って本当に久し振りにCimitero Monumentale(記念墓地)に足を運んだ。もう1年以上ここには足を運んでいなかった。興味がなくなったとか、撮り尽くしたというわけではなく、時間やお金や、その他にも色々な理由で来る事が出来ていなかった。今日はこの二眼でカラーを試撮りするために来た。この二眼、モノクロはまあ何とかまともに撮れるのだが、ポジカラーのような後で修正が難しいフィルムで撮るとなると、やや不安がある。
今日は試しなので、あまり勢いよくパシャパシャ撮ることは控え、1つのフィルム(12枚)だけに絞る。今年の5月にNapoliに行き、Mimmo Jodiceと共に過ごしたせいか、像、特に大理石像に目が惹かれる。
話がずれるかもしれないが、僕はモデル撮影などの、人物を主役とした写真を撮るのが苦手である。いわゆる、雰囲気作りが一番大切とされる撮影だが、苦手というか、おそらくそのような能力が備わっていない。訓練することでその能力が備わるのかどうか知らないが、あまり欲しいとも思わない。かといって人物撮影がすべて苦手かといったらそうでもないようで、結構良いものが撮れるときもある。まあ、すべて僕の気持ち次第な感じがするが、ファッションモデル相手では良い仕事が出来たことがない。
で、何故今この話をしているかというと、僕は墓地で気づいたのだが、墓地にある多くの像達はモデルとしては完璧である。まず、動かない。そしてそれ自体には感情がない。感情がないくせに、良い表情をしている。僕が雰囲気を作る必要がなく、彼らが既に十分雰囲気を作ってくれている。記念墓地というのはおそらく、比較的お金や名声のあった家のものが多く納められている。よって、像や墓石といったものも、優秀な墓石屋が造っているのではないだろうか。なかなか傑作が多いと思う。そして、それらの像に時間の経過が加えられる。雨に打たれ、色が変わり、崩れていく。
投稿者 tomoyuki : 10:46
28.11.06
肥満
今朝、新聞を読んでいると、肥満についての記事があった。
世界一の肥満国はアメリカで30%強、その次がメキシコと続く。3人に一人が肥満ということか。ヨーロッパの国々は比較的肥満率が低い(大体の国が10%以下)のが意外だったのだが、一番驚いたのは、なんとイタリアが肥満率下から5番目だったということだ。周りを見ていても、そうか?と疑いたくなるのだが、まあ日本人よりも骨格がしっかりしている分、太って見えているのかもしれない。もしくはあの大きな体のほとんどが筋肉か、だ。オリーブオイルは太らないというのは本当かもしれない(まあ、火を通してしまうと駄目らしいが)。ちなみに、世界一肥満率の低い国は我らが日本と韓国で、ともに3.2%と、アメリカの約10分の1である。まあ、僕自身しょっちゅう痩せすぎ、可哀相と言われるのだが、韓国人が日本人ほど痩せているのかと思うと、それはどうかと思う。しかし、よく考えてみると、僕がこっちで目にする韓国人はカンタンテ(オペラ歌手)が多いので、どうしても偏ってしまうのかもしれない。
投稿者 tomoyuki : 10:55 | コメント (0)
24.11.06
人口増加
ここのところ、出勤のために使う地下鉄の乗客率が急激に増えた。何故に?僕は大体いつも8時半くらいの電車に乗るのだが、最近満員で乗れないため、一度見送るということも少なくない。半年前まではそんなことはなかったのだが。見回してみると、乗客のタイプは前と変わらず、社会人がほとんどである。学校の始まる時間が遅くなった分、学生が増えたのかとも思ったが、どうもそうではないようだ。では一体何故?
イタリアでも高齢化が進んでいて、ヨーロッパでは比較的平均寿命が永くなってきている。そのため、働く大人が増えているということだろうか。それにしては、短期間で顕著に現れすぎる。何か別の理由がありそうだ。
まあでも、出勤時間が学生と被らないのは助かる。朝から煩くて仕方がない。
5日ほど前から急に気温が下がり始めている。雪が降るのも近いだろう。曇る日も多くなってくるだろう。Filmを買い溜めしておこう。
墓地シリーズの整理をしていて気づいたのだが、晴れた日に撮った墓地の写真は僕の心を惹かない。逆に、曇った日に撮った写真は自分で言うのもなんだがなかなか良い。日光が一筋差しているというのも、まあ綺麗は綺麗なんだが、僕は墓地に、そういうタイプの美しさは求めていないことを確認する。

投稿者 tomoyuki : 13:49
23.11.06
Moncler
友人にMonclerのダウンジャケットを安く売ってもらった。去年のモデルらしいが、なかなか可愛い。坊主にしたほうが似合うというので、バリカンで髪を刈った。昔に比べると、髪型に対する拘りがなくなった。数年前までは色も型も色々なものを試していたし、毎日整髪料でバッチリきめていた。髪形に合わせて服装を選んでいたが、最近は服装に髪形を合わせるようになったかもしれない。というか、一度坊主を経験してしまうと、もう楽でやめられない。でも冬にこれをやると風邪をひくことが少なくない。
投稿者 tomoyuki : 11:05 | コメント (0)
21.11.06
紛失
今回の個展でプリントしたオリジナルのフィルムが一枚紛失した。今更になって気づいたので、Labから戻ってきていないのか、僕が自分で紛失したのかわからない。でも、数枚同時にプリントしたはずなのに、その一枚だけがないのはおかしい。受け取りの時点では、基本的にプリントは確認するが、フィルムの数を確認することはない。次回からきちんと確認するべきだ。まあ、とりあえずあと一枚ほとんど同じ構図で撮ったものがあったので良かったのだが。
そして、白黒のフィルムで、一枚会心の作が紛失。というか、こちらのほうはシートベタで見た気がするだけで、きちんとプリントしたことはなかったので、実を言うとシートベタで見たのかどうかも定かではない。今までの中でトップ10に入る写真だったのだが、もしかしたら夢だったか・・・。
投稿者 tomoyuki : 10:55 | コメント (0)
20.11.06
性癖
疲れ、というよりも気だるさが慢性化している気がする。さすがに、気楽に学生生活を満喫していた時のような精神状態ではいられないか。今考えると、学生の時は学生の時で、まあ気楽という名の精神状態が常に安定して続いていた。未だに立派な社会人とは言えないが(気持ち的にも立場的にもヴィザ的にも)、それでも僕が軽く嫌悪していたイメージに自分が近づいていっているのがわかる。そのイメージがだんだんと自分のものとして定着していっている。見えてないんだろうなぁ、いろいろなことが自分には。そして甘いのだろう。
ここのところ、精神的に荒んでいるというか、荒くれている。どのくらい荒くれているかというと、歩道が狭くても全く避ける素振りを見せない通行人と擦違う度に、悪態をつくくらい荒くれている。イタリア人は見ていないのか、見ていてもそのようにしないのか、道を譲るということをしない人が日本に比べるとかなり多い。以前はそういう人達と擦違って僕が一方的に避けることになっても、「イタリア人ってなんでその辺気が利かないんだろうなぁ」と思うくらいだったのだが、今は正直「何処に目をつけてるんだ、こっちが東洋人だから避けないんじゃないのか?」とかなり悪く受け取って、それだけなら別に良いのだが、それを表情や言葉として出してしまう。
友人たちと一緒にいる時にも、何か自分の気のいらないことがあると、すぐに顔が変わる。それに気づいたり気づかされたりしたときは結構きつい。どうしようもない。良くないとは思っているのだが、瞬間的に反応してしまう。このような癖は昔からずっとあったものなのだが、最近特に顕著である。本当の意味でそれが染み付いてしまう前に直したい。もう既に日本では働けないだろうなと思っているのだが、イタリアでも働けなくなってしまうぞ、そのうち。
感謝が足りないなぁ、本当に。確かに不満ばかりだ。
投稿者 tomoyuki : 10:37 | コメント (0)
18.11.06
霧の季節
最近ミラノは霧がすごい。昔に比べると大分減ったらしいが、ミラノの名物。
僕はどちらかというと、ミラノは晴れているよりも、曇っているか、最近のように霧に包まれている方が好きである。晴れていると街の汚れがはっきり見えてしまい、正直不快になることが多いのだが、霧などがでるとその辺りを綺麗に隠してくれる。そういうのを経験すると、この街は本当にもったいないことをしているなぁ、と思う。
投稿者 tomoyuki : 12:49 | コメント (0)
16.11.06
新規開拓Bar
知り合ったばかりの知人が僕の写真を見てくれるということで、5Giornateで待ち合わせ、近くのBarに連れて行ってもらった。Barと言うよりは、本屋にBarが併設されている。
中に入ると温かくてほっとする。机はなく、カウンターに五つほどの椅子が並んでいる。Cappuccinoを頼むと、カカオとシナモンのどちらをかけるか訊かれた。普通はカカオがかかっているのだが、シナモンも珍しいと思い、頼んでみた。香りはシナモンが抜群だが、Cappuccinoとの相性が良いのはやはりカカオだろう。
店内は本当に静かで、居心地が良い。書籍のほかに、おそらくそこの店主の手作りであろう、栞なども売っている。それよりも目を引いたのがさまざまな種類のTeaで、なんとなく聞いたことのある種類もあれば、初めて聞くものもあった。これだけ種類があると全部制覇したくなるが、TeaってCaffeよりもカフェインの含有量が多いと聞く。最近夜中に目が覚めることが多いので、今はきついか。
Caffeに関しては、結構深みに入ってきたな、と思うが、Teaに関してはほとんど無知である。イタリアでTeaの深みに入るのも難しい感じがするが。普通のBarに行ってTeaを頼んでもまともなものは出てこない。ロンドンで飲んだときはさすがにおいしかった。
頭が少し朦朧としていて、風邪を引きそうだが、なかなか本格的に始まらない。来るなら早く来い。来ないなら早く決めれ。
投稿者 tomoyuki : 10:36 | コメント (0)
14.11.06
価格
昨日、ジェラテリアで個展をやっていると書いたが、写真の数は全部で8枚ほどと、まあ少ないほうだろう。ジェラテリア自体もそんなに広くはないので、これが限界。それで、個展を開くにあたってジェラテリアのオーナーから、「買いたいって言う人がいたら売るんでしょ?」と訊かれたのだが、その時点では販売ということに関してまったく何も考えていなかった。正直、自分の写真が飾ってあるこの期間にそのジェラテリアの売り上げが少しでも上がってくれればいいなぁ、と思っていたくらいだ。自分の写真を買ってくれる人がいるとは思わなかったし、思えなかった。欲しいと言ってくれる人はいるが、値段がついたら話は別であるような気がする。
で、先日知人たちとその店に行ったのだが、そこでその中の一人の方から「いくらなの?」と訊かれた。まあ大体自分の中でこんなもんかな、と思っている値段は言ったのだが、「そんな考えじゃだめよ」と一刀された。話を聞くと、その方は友人のアーティストのために時々個展のコーディネートをしているらしく、値段なども彼女が決めることがあるようで、いろいろと説明してくれた。
ふむふむと話を聞いていたのだが、どうにも資本主義的過ぎて僕は馴染めない。言ってくださっている事は非常に明解で判りやすく、成る程、とは思うのだが、自分にそんなことが出来るのかと自問すると、答えはNoである。人の作品になら兎も角、自分の作品に対してあのような考え方はとてもじゃないが出来ないというのが正直な実感である。資本主義に自分の作品を委ねたくないという幼稚な考えがあるのかもしれない。
まあとにかく、とても参考になった。
投稿者 tomoyuki : 09:51 | コメント (0)
24.12.05
年末年始休業
というよりも、クリスマス休業と言った方が正しいかもしれないが、昨日、今年最後の学校の授業があり、前半の授業終了と共にクラスの皆が持ち寄ったワインやシャンパン、ケーキやクッキーなどを机の上に並べてフェスタが始まった。皆本当に嬉しそうで、それはただ単に長期休業に入るからではなく、やはりクリスマスを思ってというところが大きいようだ。さすがカトリック大国。あたしも気を利かせて日本酒でも持っていけば面白かったのだが。
なかには手作りケーキを持ってくる女性もいて、気合いが入っていた。ちなみにそのケーキはチョコレートに少しフルーティな風味を足したもので、まじめに美味しかった。これの作り方教えて欲しいな。
他のクラスの人たちも集まってきて、皆で乾杯した。僕は用事があったので先に帰ってきたのだが、あのあと何時くらいまで飲んでいたのだろうか。気の毒なのは後半のテクノロジーの授業の先生で、授業やらないんだったら来なきゃ良かったわ、という顔をしていたのだが。
皆さんまた来年。
休みといっても課題はたくさん出された。撮影や資料収集などは全く問題無いのだが、一番嫌なのがテキストを読んで4つの質問に答えるという課題で、そのテキストはベンヤミンの「複製技術時代の芸術」からの抜粋で、恐らくイタリア語で読んでもほとんど解らないのではないだろうか。きついなぁ。ロラン・バルトの「明るい部屋」は日本語でもっていたのだが、ベンヤミンは買わなきゃ買わなきゃと思いつつ買っていなかったのでピンチ。母から送ってもらうことにしよう。時代的に、日本語で読んでもよく解らなそうだ。
投稿者 tomoyuki : 01:35 | コメント (0)
20.12.05
憎しみ?
学校から家に帰ってきて、一番表の門の前に来ると、ここの住人らしき老人が鍵を開けようとしていたが、手こずっていた。鍵が沢山ありすぎてどれかわからないのかと思い(イタリアはやたらに鍵が多い)、開けましょうか?と訊ねると、「うるせーな、鍵開けるくらい俺だって出来るんだよ、ほっとけや、このくそったれのガイジンが!」と言われて、まあちょっと吃驚。この人、相当外国人が嫌いなんだろうが、僕は僕で「あんたが開けるまでなんて待ってられねーだろうが、この糞・・・」(自粛)と言いそうになってしまうところがまだ小さい。我慢して、鼻で笑ってやりましたけど。
と、帰宅してからblogに書いてしまっている僕は、実は結構むかついているのだと実感する。
投稿者 tomoyuki : 02:54 | コメント (0)
15.12.05
地下鉄
最近、毎日最低3回は地下鉄に乗っていて、電車数では最低5車両には乗り、時間にすると一日のうち最低2時間は地下鉄構内にいる。東京とかだと普通なのかしら。
まあ兎に角そんなわけで、必然的に地下鉄の写真を撮ることが激増したのだが、あと一年近くはこういう生活が続くと思うので、相当数の地下鉄写真が溜まるであろう。作品にしても面白いと思う。
先日、地下鉄構内で写真を撮っていて駅員に捕まり、危うく罰金を払わなければならなくなったと書いたのだが、それは今でも勿論変わらず、前回捕まったBRENTA駅では写真は撮らないようにしている。
しかし他の駅では積極的に撮っている。駅員が捕まえに来ないという頼りない確信があるからだ。
根拠その1。フラッシュを焚かなければ気付かれにくく、撮ったという確信も持たれない。
根拠その2。大きな駅では人が沢山いるので気付かれにくい。
根拠その3。防犯ビデオをずっと見続けている人間がいるとは思えない。
根拠その4。普通の駅員はたとえ改札口のビデオ室で、僕が撮影しているところをビデオで見たとしても、殆どの場合は面倒臭がって下まで降りてこない(BRENTA駅の駅員はまだ若く、やる気に満ちあふれていた)。
根拠その5。僕自身の早撮りテクが上達している。
と、以上の5点から、撮影は比較的簡単に行えると判断した。問題はフィルム感度で、普段100で撮影することが殆どなので、ミラノの地下鉄構内のような暗い場所ではちょっと苦しい。せめて400は欲しいが金がない。
投稿者 tomoyuki : 04:00 | コメント (0)
26.11.05
3
まあ、これを見てくれている人で、イタリアもしくはヨーロッパに住んでいる人がどのくらいいるかわからないが、とりあえず最近CMなどでもよく見る「3」はオススメできない。
実は僕は最近TIMから3に変えようとしているのだが、全然うまく行っていない。まあ3の感じ悪いこと悪いこと。細かく書くとまた怒りが込み上げてくるので書きませんが、本当に誠意ないですよ、3。見た目だけだな、あそこが力入れてるのは。
「あなたがた、みんな3なわけでしょ?なんで自分たちの会社のミスをフォローできないわけ?」と訊いたら、「いや、僕たち3で働いてるけど、でもそれ以前に個人だから(他人のミスの尻拭いをするのなんてごめんだね)」と返してきた。それ言われたらもう呆然とするしかないわな。
「僕たちは個人主義だから」なんて普段から言っているイタリア人だが、都合の良い個人主義だこと。
投稿者 tomoyuki : 21:12 | コメント (0) | トラックバック
21.11.05
Milano
Milano sta ghiacciando.
投稿者 tomoyuki : 06:05 | コメント (0) | トラックバック
17.11.05
今日の一日。
とは言っても午前中は飛ばして、午後の話から始めます。
学校が始まって大体10日が経つ。初日はいきなりlabで、初日どころか授業が始まって10分もしないうちに、lab担当の片方の先生(lab担当は2人いて、1人は優しく1人は怖い)に皆の前で突っこまれた。
君は日本人か。語学に問題はあるのか。
ーはい、時々あります。
前に一度国は忘れたが東洋人が1人いて、そいつは全然語学が出来なくて、いろんな奴に聞き回って、本当に(かなり強調)良い迷惑だったわ。
まるで僕がその東洋人であるかのように吐き捨てる感じでそう言われ(怖い方に)、まあその時は嫌な先生だな、と思ったが、でもその先生の言ったことは間違っていない。特に東洋人は他の国の人間に比べて語学力が劣る(例外もいるけど)。というか、日本人は日本で勉強するのが確実じゃんってな話である。それはそれで正しい。言葉ということで考えれば。
こっちで勉強する日本人にとって影響が大きいのは、学校じゃなくて環境である。学校以外の環境がその人間形成を左右することの方が多いだろう(学校も含めてと言った方が正しいかしら)。まあ、このことは僕がこっちで働き始めてから思ったことだが。あくまでも、secondo me(私的には)。
で、ようやく今日の午後の話になるのだが、この怖い方の先生、怖いことには怖いのだが、悪い人では全くない。言い方がちょっときついってだけで、既に生徒数人の名前を覚えてくれていることを見てもそれがわかる。僕は個人的にこの先生と話したことはないのだが(なんとなく気が引けていた)、今日、そんな僕の名前もきちんと覚えてくれていることを知って、それは本当に驚きで、嬉しかった。
日本でもそうかもしれないが、こちらは名前を覚えているか覚えていないかが本当に大切なことで、いくら仲良さそうに話していても、相手の名前を知らないと、その相手は本気で怒る。僕はイタリア生活の始めのほう、その辺のことがよくわからず、名前も知らない相手と仲良さそうに話していて、怒られたことが数回ある。だから、こちらでは仲良くなる前に(話が弾む前に)必ず名前を聞く(もしくは名簿で調べておく)。これは本当に大切。名前覚えられるのって嬉しいだろう、やはり。
というわけで、話は変わり、今日はlab。現像、焼き付けをやった(撮影は前回行った)。
僕が現像している最中でアクシデントが起こった。動いていると思っていたストップウォッチが機能不全で止まっていることに、現像液にネガを浸してしばらく経ってから気付き、一気に混乱し、どのくらい時間が経ったのかもわからなくなり、とにかく始めてしまったものは仕方ないと、第6感で7分15秒を測ることにした。とは言っても、ただでさえ何も無しで7分15秒測るなんて不可能なのに、何も見えない暗室の中ではそれが更に困難だった。
結果は、ちょっと明るすぎ。まあ、こんな事もある。学校で良かった。
もう一つ、アクシデント(というか、完全に僕のミスなんだけど)。現像が全て終わって片づけていた時、定着液を水と間違えて捨ててしまった。まだ使えた定着液を捨てたことがミス1で、定着液を普通の排水口に流してしまったことがミス2。
その時点で僕は全くそのことに気付いていず、別の暗室で現像したフィルムを焼き付けている時に怖い方の先生が大きな声で僕を呼び、「定着液捨てちまったのはお前か?」と言われて気付いた。まあ、初めてだからということで最終的には許してもらえたが。
この時、その暗室の中にはクラスメイトがほぼ全員揃っていて、その中で大きな声で怒られたのだが、その時その後の周りのクラスメイトの反応が様々で、自分は全く関係ないという態度をとる者もいれば(まあ実際関係ないんだけど)、メチャクチャ慰めてくれる者もいるし、半共犯だったのだが素知らぬ振りをする者もいる(これここに捨ててokだよね?と訊ねて、それに対して「okでしょう」と答えた人ね)。
まあ、まだそんなに仲良くないし、今回のことだけでその人達を判断するのはあまりにも早いのはわかっているが、でもやっぱり僕の心の中にはその人のその時の行動が残ってしまう。
もう一つ、今日思ったこと。これも学校での話なのだが、4時間の授業が終わり、さて皆さん帰りましょうというところで、優しい方の先生が近づいてきて、「暗室にフィルターを置きっぱなしにしたのは誰だ」と皆に訊ねた。そして誰も名乗り出る者がいなかったのだが、まあそれはありがちな光景だ。
その後、その先生が生徒達と話していて、その中でふとフィルターを置きっぱなしにした人間が判明した。先生が「じゃあ置きっぱなしにしたのは君だな」とその生徒に突っこんだところ、その生徒は言い訳を始めて、最終的に人のせいにした。それも、自分ではない3人程のクラスメイトのせいにした。
「責任から逃れる」ことは、数あるイタリア人の特徴の中でも僕が一番忌み嫌うことだ(自分の中にもそういう部分があるからだろう)。前にも書いたかもしれないが、イタリア人の一般的な傾向として、自分に責任が及ぶことを極端に嫌うということがある。責任を回避することに吃驚するほどの労力を注ぐ。認めた方がずっと楽だし格好いいことも多々あるのだが、とにかく見ていて不快になるくらい手段を選ばずそこから逃げる。その結果、この国の一部分は修復不可能なくらい酷い有様である。自慢できない国民性。決して染まってはいけない一部分。
と、久し振りに長々と書いてしまったが、やはりしばらく文章を書いていなかったせいか、文章能力が落ちている。もともと大した文章能力持ち合わせていませんが。
投稿者 tomoyuki : 03:04 | コメント (0) | トラックバック
03.11.05
Ma perche'??
E' strano. Perche'?
Perche' vengono sotto di ENTRY calendario,category,archive ecc. guardando con Win??
Anche questo devo sistemare.
投稿者 tomoyuki : 07:02 | コメント (0) | トラックバック
一転していない。
心機一転頑張りますと言っておきながら、全く更新できずにいる。
まあ、忙しいというのもあるのだが、別にblogを弄ることが出来ないほど忙しいわけでもない。やはり原因は帰宅してからPCに向かう気になかなかなれないことだろう。
最近capoがいないせいもあって、仕事中に時間が空くことがあるのだが、その時に弄るってのもアリかしら。でもそれやり始めたら止まらなくなりそうだし(仕事中に止まらなくなるのはネットサーフィンだけで充分です)、何故かblogを弄るのは自分のi-bookを使ってが良い。windowsってやはり好きになれず。僕が職場で使っているPCは特にそうだが、まず見た目がダサイ。中身もダサイ。そしてうまく機能しない。中身は色々弄って僕好みに出来るんだろうが、外見はお金の問題上、無理ですね。
最近またフィルムで撮影していない。カメラ持ち歩かないとな。時間の都合上、現像に出しに行くことさえ出来ていない。