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30.01.09

イタリアの首相

イタリアの現首相はかなり癖が強い。悪い意味で癖が強い。
先日、オバマ氏の大統領当選が確実となった際、この伊首相はオバマ氏について「彼はスマートでよく日焼けしていて・・・」なんていう訳のわからない発言をしていた。後で、あれは彼に敬意を表する一種の冗談であった、なんて言っていたが、冗談であるならば、かなりたちの悪い冗談である。間違いであるほうがよっぽどマシだ。
最近、イタリアのニュースでは毎日のように婦女暴行の事件についてとりあげている。年間で約34万件というから、かなり恐ろしい数字である。狙われるのはイタリア人はもちろんだが、外国人もである。具体的な比率はわからないが、犯人は外国人のほうが多い。ニュースの内容を聞いているだけで虫唾が走り、正直殺意が湧く。で、そういう状況に関して首相は、「イタリア人は美女が多いから100%防ぐのは不可能だ、一人一人にボディガードをつけるしかないね」と、いつものように笑顔で会見していた。まあもちろんこの発言に対してもかなり反発があったのだが、彼は「イタリアの女性を褒めただけだ」と開き直っていた。が、わざわざあのような婦女暴行事件に対する政府の対応を発表する場で、褒める理由がない。
この首相に対して、僕の周りでは批判する声しか聞いたことがない。周りのイタリア人が皆、首相の名を出すだけで顔をしかめたり、呆れ顔をしたりする。本当に、僕の周りの100%のイタリア人が、彼を批判しているのである。しかし、彼が今回首相になったのは2度目である。ということは、彼を支持する人間のほうが多いはずである。何故、僕の周りには批判の声しかないのだろうか。彼を賞賛するのは、僕のような人間が普通に生活しているだけでは知り合えないような人たちなのだろうか。よくわからない。

posted tomoyuki : 13:19

29.01.09

物の値段。

昨年(一昨年だっけ)の原油高で、スーパーに並ぶ食材の値段が1.5倍から2倍以上に跳ね上がった。で、今は原油の値段がかなり下がっているはずなのに、スーパーの食材の値段がほとんど変わっていない。どういうことだ。電気代やガス代なども年々上がっているこのイタリアで、唯一(唯一ではないと思うけど)下がっているのは電化製品だ。が、電化製品など滅多に買うようなものではないので、あまり意味がない。食材や光熱費が下がってくれないと意味がない。まさかこれはまたユーロ通貨開始の際と同じイタリア得意の便乗値上げだろうか。それか僕の知らない何かがあるのだろうか(あるに決まっている)。
この前単純に、僕が家で作る食事は一体いくらかかっているのだろうと気になり計算してみたところ、パスタとサラダで大体3.50ユーロ。これでは家で作って食べる意味がない。。。

posted tomoyuki : 13:19

22.01.09

人の話を聞く。

 日本の僕くらいの年齢の人間がどうなのか、中学・高校の頃の友人と縁が切れて久しい僕にはわからないが、イタリアに来て比較的長い僕と同世代の日本人男性は、自分の話を誰かに聞いてもらいたくてしかたない人間が多い。これは僕がミラノに来た8年前からずっと気になっていることだ。僕もそういう人達とそんなに違いがあるわけではないが、誰かに話を聞いてもらうのならば、こっちもその分相手の話を聞くのが良い関係なんじゃないのか、と思う。これはかなり極端だとは思うが、僕に相手の話を聞く余裕がない時は、自分の話もあまりしないようにしている。これは相手へのリスペクトである。と同時に自分へのリスペクトでもあるのだが。お互いにこのリスペクトを持ってこそ、良い友人関係が築けるのではないかと思っている。
 先日、二年振りくらいに会った男の友人と、Barでお茶をした。噂では仕事を頑張っているということを聞いていた。席に着くと早速、彼は自分の今の状況、未来の展望などを語り始めた。その話は僕にとってとても刺激的なものだったし、参考になる話だった。自分の今の状況に対して、愚痴を一つも言わなかったのも、とても好ましかった。一時間ほど、彼は話し続け、僕は相槌を打ち続けていた。彼の話が終わり、一息ついたところで、お礼ということではないが、僕が自分の話もしようかな、と思った時、彼は「じゃあ、そろそろ行かなくちゃいけないから。コーヒーごちそうさま」と言って席を立った。まあ、実際その後仕事が入っていたのも知っていたし、僕もそんなに彼を引き止めるつもりもなかったわけだが、自分の話をするだけして、それが終わったらすっきりした顔でさっさと席を立ってしまう彼を見て、開いた口が塞がらないとはこのことか、というくらい、僕の口は開きっぱなしになった。まあ、悪い人間じゃないし、結構おもろい人間だし、らしいといえばらしいので、この時のことは後に僕の中では笑い話にしかならなかったのだが、彼が誰に対してもこういう態度でいるしたら、結構やばいんじゃないだろうか。
 あともう一人、顔を合わすといつも仕事の愚痴なんだが自慢なんだかよくわからない話を延々としてくる人間がいた。それもいつも同じような話で、聞いてるこっちはただただ疲れてウンザリするしかなかった。彼にも、僕の話を聞こうという気はまったくなかったようだ。僕の話ってそんなに面白くないのか、と思ってしまうくらい、こういう人間が僕の周りに多い。それも大体同じ年齢だ。タメだから話したくなるっていうのはあるんだろうけど。
 まあ、僕もごく一部の人達に対しては喋るだけ喋ってしまうことはあるので、そんなに変わらないか。それにこの一部の人達はかなり僕を助けてくれている。それを考えると、まあ僕に何か話してくれる人がいるというのは幸せなことかもしれない。
 

posted tomoyuki : 18:25

20.01.09

初スラれ

イタリアに来て9年以上が経つが、昨日、遂に、初めて、スリの被害に遭ってしまった。盗まれたのは携帯。
仕事を終えて、いつものように92番のバスに乗って帰ろうとした際、来たバスが結構混んでいて、うわぁ嫌やなぁ、と思ったのだが、その次に来るバスを待つ気にもなれなかったので、仕方なく一番後ろのドアから乗り込んだ。僕の他にそのドアから乗り込んだ男が一人いたのだが、犯人はこの男で間違いないだろう。僕を中に押し込むような形で強引に乗り込んできて、ドアが閉まった時点ではかなり不自然な形で僕に密着していた。
こういうことを言うのもなんだが、90,91,92,93番のバスの乗客は、まともじゃない人間がかなり多い。焦点が合ってなかったり、昼間っから酒臭かったり、衣服がめちゃくちゃ汚れて臭かったりっていうのが結構多いのだが(そのせいでわざわざこのバスを避けて通勤する人達は多い)、僕を押し込んで乗ってきた男もそれ系だったので、ちょっと離れようと思い、強引に奥に進んだ。人と人との隙間におさまって、とりあえず落ち着いてダウンジャケットのポケットを探ったら、携帯がなくなっていた。その時点でピンと来た僕は、その男を捕まえて、俺の携帯返せ、とも言えたのだが、それをしなかったのは、僕の中である疑惑があったからだ。それは、俺は本当に携帯電話をダウンのポケットに入れていたのか、ということだった。基本、バスに乗る時、僕はこのダウンのポケットに携帯を入れるようにしているのだが、ここの所うっかり何かを忘れることが多い僕は、携帯をポケットに入れたつもりで、職場に置き忘れている可能性を否定しきれなかった。もし実際にそうだとしたら、もちろんここで携帯返せなんて言うのはかなり危険があり、下手したらこっちがボコボコにされてしまう。かといって、遠慮がちに「あなた、僕の携帯盗ってないですよね?」なんて聞けるわけない。
ってなわけで、結局僕がその時点で出来ることは、その男をずっと凝視していることだけだった。顔から察するに、おそらくルーマニア周辺の東欧人だ。その男は次の停留所で降り(これが既におかしい)、思いっきり振り返って僕のことを見、僕がめっちゃ凝視していることに気付くと、そそくさと小走りで走り去っていった。その時点で僕のその男に対する疑いは確信に変わったのだが、当然何かできるわけでもなく、そのままバスのドアは閉まり、発車した。家に着くまでの間、僕はずっと記憶を手繰り寄せ、携帯をどこに置いたのかを思い出そうとしたのだが、全く思い出せず、家に着いてSkypeから携帯に電話してみて、呼び出し音も鳴らずに留守電サービスに繋がった時点で、はい、決定。やられました。今朝職場に来たが、案の定携帯はなかった。
しかし、あまり悔しさは覚えない。イタリアで日本人といえば、泥棒業界からしたら絶好の平和ボケしたカモである。実際、僕の周りで、スリ、置き引き、泥棒、などの被害に遭っていない人間など僕以外で一人しか思い当たらない。しかし、被害を受けた人たちから話を聞くと、盗られ方は実に様々だ。そんな環境の中で、9年間、何もなかった僕は、頑張ったと思う。まあ、盗まれたものがパスポートや滞在許可証であったら、僕はもっとパニックに陥った後、怒り狂うであろう。
そして、盗まれた携帯は結構使い込んであり、むしろ携帯の価値よりもプリペイドとして残っていた20ユーロのほうが価値が高い。そういう意味では、ざまぁみなさい、あんな携帯誰も買い取ってくれねーよ、ってな感じである。
ただ、携帯会社に行って番号復元してもらうのと、新しい携帯を買うお金と手間が惜しい。

posted tomoyuki : 13:40

19.01.09

決意

決意とか、覚悟ってものは、まあ人にもよるのは大前提だが、結構限られた機会にしかできないことなのだろう。僕は今のところ、その殆どの機会を逃しながら生きているという気がする。もうほとんど、どこが決意すべきところなのか、覚悟するところなのか、そんなことさえわからなくなってしまっている。一番最後に何かを決意したり、覚悟したりしたのはいつのことだろうか。というか、そんなことあったのだろうか。諦めという言葉は嫌いだが、諦めという行動には慣れきってしまっている。もっと前向きな気持ちで生きていかないと、僕はこのままあっという間に還暦を迎えるだろう。その時、楽しい人生歩んだなぁ、なんて思えないのは目に見えている。

posted tomoyuki : 13:40

14.01.09

書き始め。

もう何年の間Blogに文章を書いていないのだろうか。
書き込まなくなったきっかけは殆ど忘れたが、気付いたら何かを書こうという思いもなくなっていた。
これまでに何度か、何か書かなくてはと思い、書き始めたこともあったが、書いているうちに自分の頭の中が混乱して、何を書けばいいのかわからなくなってしまったことが何度もあった。これは友人との会話にも現れていて、普通にしょうもない話をしているときは問題ないのだが、いざ真面目な話題の中で自分の考えを口に出そうとすると、すぐに頭が混乱して、自分が何を言いたかったのかさえわからなくなる。これって何か精神的な病気なのだろうか。それはないと思うけれども。
でも久し振りに何か書いてみようかな、と。ようは慣れだ。まずは自分の考えを書かなければいい。

Gomorra(2008)がオスカーの外国映画ノミネートに入らなかった。ネタがローカルすぎたのだろうか。映画としてはなかなか面白いと思うので、是非皆さんにも見てもらいたいのだが。ただ、この映画を見てしまうと、もうナポリに行って馬鹿できなくなってしまう。馬鹿というのは、街中または郊外のいたる所にある、引き出しの中を覗いたら白い粉の入った袋が山積み、みたいな廃墟にそっと潜入して撮影するとか、自分が街中を歩いている時に、後ろから時速5kmくらいでやってきた、スクーターにノーヘルで3人乗りしている10歳くらいの子供たちに、いきなり頭をパーンと叩かれて、「この中国人がっ」と罵倒(?)された時に、つい中指を立ててしまうとか、そういうことだ。まあ、あの頃僕は若かった(と思いたい)のだが、今ナポリに行っても、そういうことをしようとは思わない。というか、怖くて出来ない。無知って怖い。

Come dio comanda(2008)は、Io non ho paura(2003)と同じ監督で、同じ原作者の作品。映画だからそうなのか、原作がそうなのかはわからないが、人物描写が素直すぎて時に自分の心にグサッと刺さる。Come dio comandaはある父子とその友人(軽度知的障害者)の3人を中心とした話なのだが、この友人役の俳優にはちょっと感動した。そして息子役の14歳(本当か?)の少年も素晴らしい。この原作者の小説、読んでみたい。というか、僕はこっちに来てそろそろ10年になるが、普通の小説なら問題なく読めるくらいの語学能力はついてきているのだろうか。それが露呈されるのが怖くてイタリア語小説敬遠中。

posted tomoyuki : 09:15

07.01.09

Milano 28cm

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posted tomoyuki : 10:45