23.12.06
お詫び
先日、靖国問題という本を読んで僕が思った事などを書いたのだが、僕の文章を読んで疑問に思う人はもちろん、不快になる人、傷つく人がいると思う。その事についてお詫びしたい。特に、戦争を経験している人が周りにいる人達が読んだら、不快になるだろう。クリスチャンの中にも不快になる人がいるだろう。「こいつ、なんもわかっていないな」と思う人もいるかもしれないが、それはその通りだ。僕の周りには戦争を経験していない人がいないわけではなく、祖母などはしっかり経験している。しかし、僕はその事について祖母と積極的に話した事が無いし、祖母も僕に対して積極的にその時の話をする事もない。質問すれば答えてくれるかもしれないが。祖父が一人でも生きていればもう少しそういう話を聞く機会も増えたかもしれない。もし僕が直接そのような話を聞いていたら、今回のような事は書かなかったかもしれない。書けなかったかもしれない。もちろん当時国のために亡くなった戦死者の血に価値がないとは思っていないし、事実、そういう人達のお陰で今僕が生きていて、ある意味、命に関しては何の心配も無く生きている(何時どうなるかわからないのだろうが)。だが、正直、僕には50年前の出来事が、どうしてもリアルに感じられない部分があるのも確かなのだ(それが一分前に起こったことだとしても経験していなければわからない。今の中東の事などがそうだ。テレビで見て、死体が道端に転がっている映像を見ても、それ自体は僕からとても遠い)。今回のように、本を読んだり、人から話を聞いたりしていても、その時何があったのかは知る事が出来るのだが、その時生きていた人達がどのような精神状態だったのかとか、どう考えていたのかとかは、本当の意味で理解するのは難しい。
幼稚園の卒園文集の、「親の一言」の欄に母は、「トモユキは人の気持ちが解からない。人が傷つくということを知らない。その事をもう少し理解するように」と書いてある。幼稚園児にこんな事を言ってもどこまで理解できるのか怪しいものだが、おそらく母は、僕が大人になった時にそれを見ることを想定して書いたのかもしれない。そういう意味では、母の思ったとおりになった。とにかく、幼稚園児の時から僕は人の気持ちが解からないようなのだ。人の立場になって物事を考えるという事が出来ない。それはいい加減自分でも理解しているのだが、正直どうすれば良いのかわからない。どうすれば人の気持ちが理解できるのかがわからない。実際に、可能であるならばその人と全く同じ状況に陥ってみない限りは、その人の気持ちはわからないのだ。しかし、その人のことを知りたいから、その人と同じ立場になってみるというのも、出来ることもあるだろうが、しない。だから、ある程度自分以外の人のことが想像できて、きちんと配慮できる人はすごいと思う。
当時のクリスチャンの人たちに対しても同じことが言える。僕は実際に色々な方向から圧力があった時のことがわからないので、簡単に裁けてしまう。それは今の牧師や宣教師に対してもそうで、彼らは僕のような一般信徒がある意味何の苦痛も無く信仰生活を続けているその裏で、本当に沢山のことと戦っているに違いない。僕はそのような事に殆ど気づく事も出来ず、もしかしたら気づこうともせずにいるのかもしれない。
キリストは、僕達のことを知るために、僕達よりもずっと下の立場として生まれてきて、ずっと下のまま十字架に付けられた。実際に、僕達よりも更に酷い立場に立ってみて、僕達を理解しようとした。
これからも、文章を書いていく限り、僕は色々な人を傷つけてしまうことがあるかもしれないが、「配慮」というものは身に付けたいものだ。
明日はクリスマス・イヴ。イエス・キリストの誕生を記念する日。
posted tomoyuki : 23.12.06 16:15