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21.12.06

靖国問題ー2

 昨日、戦時中の靖国に対する日本クリスチャンの反応について書いたのだが、その中で、「血」について語っている部分がある。当時、精神的にも社会的にも追い込まれていたであろう日本キリスト教の司教(祭司)達は、イエスキリストの流した「血」と、戦争で亡くなった軍人の「血」を同等に置いた。同じように敬意を払うことで、母国のための戦争にも積極的に参加していったという。このことに対しても当時のクリスチャンを攻め立てるのはとても簡単なことで、神自身であるイエスキリストが我々のために流した血と、国のために軍人が流した血とは、同等ではありえない。正直、こんなことはワザワザ僕が言わなくても、キリストを信じた者であれば誰でも容易にわかることである。その根拠となる聖書の箇所を開けと言われれば、すぐに開いて提示することもできるだろう。というか、実際に当時のクリスチャン同士の話し合いの中で、こんなことは当然指摘されていたに違いない。それでも、結果として司教(祭司)達は、それを無視せざるを得なかった。そして、聖書の別の箇所を捻じ曲げて解釈することになった。社会に呑まれてしまったわけである。
 このようなことは現在でもありうることで、僕は結構陥りやすい。信仰が弱いと言われればそれまでなのだが、例えば、聖書に書いてあることをそっくりそのまま行っていると、現在では単なる「常識知らずの礼儀知らずの話が通じない人」で終わってしまう。特に日本ではそうなりやすい。聖書が書かれた時代と今の時代では、状況があまりにも違う。イスラエルにでも行けばまだまだ聖書に忠実に生きている人も多くいるし、それが可能であろう。
 しかし、だからといって今の世の中で聖書通りに生きるのが不可能かといわれたら、どうやらそうでもないようである。僕の周りのクリスチャンの中にも、きちんと信仰を守って生活している者がいる。牧師や神父でなくてもだ。
 僕の場合、社会生活していると、すぐに反聖書的な場面(今の世の中は反聖書的なことで満ちている)にぶつかり、挫折(御言葉は頭に浮かんでいるのだが見ないことにしてしまう)することが本当に多い。しかし、イエスキリストはそんなことも全部知っていて、それでも信仰を保ちなさいと言っている。大切なのは、世の光となり、塩となることだ、と。それはあなたにも可能ですよ、と言っている。
 

posted tomoyuki : 21.12.06 09:21