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30.12.06

今年最初で最後のスキー

 前日に、「今年はスキー無理かなぁ」と書いていたら、その次の日に社長からスキーに誘われ、二人で行ってきた。男同士だが、社長と二人でどこかに行くというのは初めてで、ちょっと緊張した。場所はアオスタ州のPILAという、フランスとの国境にあるスキー場だった。ミラノからは車で3時間ほどのところにあるのだが、日帰りで行くにはちょっと遠い。と、免許を持っていない僕が言うことは出来ないのだが、往復約6時間の車の中で、一体何を話せば良いのか、前日の夜はそんなことばかり考えていた。結果的には僕が心配する必要もなく、社長のほうからどんどん話しかけてきてくれ、そこそこ弾んだ。きっと僕のほうが勝手に壁を置いてしまっているだけなのだろう。
 スキー場は冬のヴァカンス時期ということもあって、結構混んでいた。スノーボーダーも多く、滑りにくい。休み休み滑ったので、筋肉痛もなし。大体標高2000m位のところで滑っていたのだが、ワインを飲んでから滑ると加速感が増してオッカナ興奮できる。
 夜は社長が韓国料理屋でご馳走してくれ、忘年会。良い機会になったと思う。ありがとうございます。

posted tomoyuki : 14:39

28.12.06

零下

 イタリアは30年振りの暖冬らしいが、ここ一週間ほどで漸く街の温度計がマイナスを指し始めた。今朝はマイナス一度。昨日は一日中かなり濃い霧が出ていて美しかった。そういう日に限ってカメラを家に置きっぱなしで後悔することが多い。去年までは毎日フィルムカメラを持ち歩いていたのだが、仕事で写真を撮るようになってからそれを止めてしまった。持ち歩いていた小型Minoxの調子が悪くなったせいもある。毎日毎日取り留めのない日々の写真を撮り溜めるのも良いが、金銭的な問題と、何も考えずにただ撮り続けることへの疑問がふと湧いてきた。仕上がったシートベタを見ると、良いなと思う写真はあるにはある。何十年か撮り溜めればそれなりに質の高い写真集的なものも出来上がるかもしれない。ただ、なんだか最近はそういう気分にもなれず、それよりも、的を絞り、考えに考えてから狙いを定めて撮ることを学ばなければと思い始める。

 今年中にスキーは無理そうだが、来年になってから一度は行きたいものだ。誰か企画してくれないかしら。去年の冬、10年振りくらいにスキーに戻ってみた。中学に入ってから、スノボーを始めた。それまでは、父が元々スキーのインストをやっていたこともあり、ずっとスキーだった。中学に入った頃からスノボーが流行りだし(とは言っても両親が新婚旅行でカナダの山に行った時にはすでにスノボーをやっていたというから、日本で流行りだしたのは結構遅いのかも)、僕もその流行に呑まれてスノボーを始めた。スキーよりもかなり危険なスポーツだと思うのだが、それでも10代の頃は楽しく滑っていた。イタリアに来てから雪山に行く回数が激減し、4年程前にこっちの山でスノボー再開。しかし、ほんの少しブランクがあっただけなのに、昔のように滑ることが出来なくなっていた。それも、10代の頃に比べて自分がかなり臆病になっていることに気づいた。どうしても重心が後ろに掛かってしまうのだ。だから、その分転ぶ回数が増え、肉体的な消耗も激しい。去年の冬に遂に音を上げ、スキーに戻ることにしたのだ。10年振りできちんと滑れるかどうか、どう滑るのか覚えているのか不安だったが、さすがに小さな頃に覚えたものは忘れない。長野県人にとっては自転車みたいなものである。スキーとは言っても最近はもうカービングが主流なようで、レンタル屋さんでも昔のような普通のスキーはもう置いていない。昔の真っ直ぐなスキー板に慣れた人間にとってはカービングスキーは子供の玩具みたいなもので、もう自由自在なものである(あくまでもアマチュアレベルでの自由自在)。かなり楽しい。全く転ばない。ジャンプとかし放題。来年も是非。

posted tomoyuki : 09:45

27.12.06

ユダヤ

 先日、シンドラーのリストとミュンヘンを改めて見たのだが、やはりイタリア語では理解しきれない。そこで、ユダヤ人のことをもっと知ろうと、ウィキペディアで検索したのだが、テーマが深すぎて、リンクの泥沼に嵌った。興味を持って調べていると結構耐えられるものだが、それでもどこまで行ってもゴールが見えない対象を追いかけているようで、疲れてしまった。それにしても、ウィキペディアのシステムってどうなっているのだろう。投稿されたものはきちんと裏を取るのだろうか。

posted tomoyuki : 13:19

23.12.06

お詫び

 先日、靖国問題という本を読んで僕が思った事などを書いたのだが、僕の文章を読んで疑問に思う人はもちろん、不快になる人、傷つく人がいると思う。その事についてお詫びしたい。特に、戦争を経験している人が周りにいる人達が読んだら、不快になるだろう。クリスチャンの中にも不快になる人がいるだろう。「こいつ、なんもわかっていないな」と思う人もいるかもしれないが、それはその通りだ。僕の周りには戦争を経験していない人がいないわけではなく、祖母などはしっかり経験している。しかし、僕はその事について祖母と積極的に話した事が無いし、祖母も僕に対して積極的にその時の話をする事もない。質問すれば答えてくれるかもしれないが。祖父が一人でも生きていればもう少しそういう話を聞く機会も増えたかもしれない。もし僕が直接そのような話を聞いていたら、今回のような事は書かなかったかもしれない。書けなかったかもしれない。もちろん当時国のために亡くなった戦死者の血に価値がないとは思っていないし、事実、そういう人達のお陰で今僕が生きていて、ある意味、命に関しては何の心配も無く生きている(何時どうなるかわからないのだろうが)。だが、正直、僕には50年前の出来事が、どうしてもリアルに感じられない部分があるのも確かなのだ(それが一分前に起こったことだとしても経験していなければわからない。今の中東の事などがそうだ。テレビで見て、死体が道端に転がっている映像を見ても、それ自体は僕からとても遠い)。今回のように、本を読んだり、人から話を聞いたりしていても、その時何があったのかは知る事が出来るのだが、その時生きていた人達がどのような精神状態だったのかとか、どう考えていたのかとかは、本当の意味で理解するのは難しい。
 幼稚園の卒園文集の、「親の一言」の欄に母は、「トモユキは人の気持ちが解からない。人が傷つくということを知らない。その事をもう少し理解するように」と書いてある。幼稚園児にこんな事を言ってもどこまで理解できるのか怪しいものだが、おそらく母は、僕が大人になった時にそれを見ることを想定して書いたのかもしれない。そういう意味では、母の思ったとおりになった。とにかく、幼稚園児の時から僕は人の気持ちが解からないようなのだ。人の立場になって物事を考えるという事が出来ない。それはいい加減自分でも理解しているのだが、正直どうすれば良いのかわからない。どうすれば人の気持ちが理解できるのかがわからない。実際に、可能であるならばその人と全く同じ状況に陥ってみない限りは、その人の気持ちはわからないのだ。しかし、その人のことを知りたいから、その人と同じ立場になってみるというのも、出来ることもあるだろうが、しない。だから、ある程度自分以外の人のことが想像できて、きちんと配慮できる人はすごいと思う。
 当時のクリスチャンの人たちに対しても同じことが言える。僕は実際に色々な方向から圧力があった時のことがわからないので、簡単に裁けてしまう。それは今の牧師や宣教師に対してもそうで、彼らは僕のような一般信徒がある意味何の苦痛も無く信仰生活を続けているその裏で、本当に沢山のことと戦っているに違いない。僕はそのような事に殆ど気づく事も出来ず、もしかしたら気づこうともせずにいるのかもしれない。
 キリストは、僕達のことを知るために、僕達よりもずっと下の立場として生まれてきて、ずっと下のまま十字架に付けられた。実際に、僕達よりも更に酷い立場に立ってみて、僕達を理解しようとした。
 
 これからも、文章を書いていく限り、僕は色々な人を傷つけてしまうことがあるかもしれないが、「配慮」というものは身に付けたいものだ。

明日はクリスマス・イヴ。イエス・キリストの誕生を記念する日。

posted tomoyuki : 16:15

21.12.06

靖国問題ー2

 昨日、戦時中の靖国に対する日本クリスチャンの反応について書いたのだが、その中で、「血」について語っている部分がある。当時、精神的にも社会的にも追い込まれていたであろう日本キリスト教の司教(祭司)達は、イエスキリストの流した「血」と、戦争で亡くなった軍人の「血」を同等に置いた。同じように敬意を払うことで、母国のための戦争にも積極的に参加していったという。このことに対しても当時のクリスチャンを攻め立てるのはとても簡単なことで、神自身であるイエスキリストが我々のために流した血と、国のために軍人が流した血とは、同等ではありえない。正直、こんなことはワザワザ僕が言わなくても、キリストを信じた者であれば誰でも容易にわかることである。その根拠となる聖書の箇所を開けと言われれば、すぐに開いて提示することもできるだろう。というか、実際に当時のクリスチャン同士の話し合いの中で、こんなことは当然指摘されていたに違いない。それでも、結果として司教(祭司)達は、それを無視せざるを得なかった。そして、聖書の別の箇所を捻じ曲げて解釈することになった。社会に呑まれてしまったわけである。
 このようなことは現在でもありうることで、僕は結構陥りやすい。信仰が弱いと言われればそれまでなのだが、例えば、聖書に書いてあることをそっくりそのまま行っていると、現在では単なる「常識知らずの礼儀知らずの話が通じない人」で終わってしまう。特に日本ではそうなりやすい。聖書が書かれた時代と今の時代では、状況があまりにも違う。イスラエルにでも行けばまだまだ聖書に忠実に生きている人も多くいるし、それが可能であろう。
 しかし、だからといって今の世の中で聖書通りに生きるのが不可能かといわれたら、どうやらそうでもないようである。僕の周りのクリスチャンの中にも、きちんと信仰を守って生活している者がいる。牧師や神父でなくてもだ。
 僕の場合、社会生活していると、すぐに反聖書的な場面(今の世の中は反聖書的なことで満ちている)にぶつかり、挫折(御言葉は頭に浮かんでいるのだが見ないことにしてしまう)することが本当に多い。しかし、イエスキリストはそんなことも全部知っていて、それでも信仰を保ちなさいと言っている。大切なのは、世の光となり、塩となることだ、と。それはあなたにも可能ですよ、と言っている。
 

posted tomoyuki : 09:21

20.12.06

靖国問題

 今、友人から貰った「靖国問題」という本を、興味深く読んでいる。この本の中には当時の日本キリスト教と靖国との係わりについても書いてあり、特にそこで感じることは大きかった。クリスチャンの行動としては「それで良かったのか?」と責める気持ちが一番に湧いてくるのだが、この時代の日本のクリスチャンは今のクリスチャンとは全く違った大きな問題(試練)を抱えていたのだと思うと、自分は一体どうするだろうと考える。goo辞書(できれば広辞苑などをひきたいのだが、手元にない)で「参拝→拝む」というのをひくと、「神仏など尊いものの前で、手を合わせたり礼をしたりして、敬意を表したり祈ったりする」と書いてある。聖書的にはこれは「偶像礼拝」、もしくは「他の神を崇める」という十戒にも書いてある罪だと思うのだが、自分がこの当時生きていたとしたら、やはり周りに流されて参拝していたのではないだろうか。「カタチだけ参拝する振りをすればいいや」なんてことも思うのだが、それで罪に定められないかというとそうではないような気がする。もちろんキリストはそのような人間の考えることは全て見通しているのだろうし、赦してくれると思う。というか、そのようなことも全て含めてクリスチャンは既に赦されている。だが、問題はそのような罪と定められるであろう行動をとった後に、自分がそれについてどのように自分を裁くかであろう。靖国参拝を拒否して殺されるということはなかったであろうが、「踏絵」と似たようなところもあると思う。遠藤周作が「踏絵」について、自分ならどうするかと書いているが、僕も遠藤周作の意見に近いものを持っている。ただ、その後自分の犯した罪に対して、自分がどのような判断を下すかは、実際にそのような状況になってみないとわからないが。「罪」であるというのは明確なのだが、「罪」というのも一言では言い表せないものだと思う。

posted tomoyuki : 11:26

15.12.06

ストライキ

 昨日の新聞の記事に、「イタリアでは一日平均3回のストライキが行われている」と書いてあった。おそらく世界ダントツ一位ではないだろうか。その中でも回数が多いのはやはり交通機関である。ストライキをやるならやるで、その結果を国民にも提示して欲しいものだが(僕はイタリア国民ではないけれでも、被害を被るということでは同じだろう)、一度もされたことがない。少しでも労働条件は良くなっているのか?給料は上がっているのか?など、多数疑問が残る。とりあえず、目に見えるようには5年前から変わっていない。

posted tomoyuki : 13:38

14.12.06

Amsterdam_2

 アムス旅行記第2弾ということで、空港の話をします。
 昨日も書いたが、今回はEasyjetを使わせてもらった。イタリア出国の際、なんとなく判っていたのだが、まあ何も言われなかったら運が良いということで、液体を機内に持ち込もうとしてみたが、やはり駄目だった。セキュリティーチェックの際、女性検査官に「こっちに来なさい」と隅のほうに連れて行かれ、バッグの中を調べられた。液体の他には衣類、カラスミ、干し肉、カメラ、洗面用具などを入れていた。液体とは、先日Artigiano(クリスマス前に毎年行われる名産市)で買った矢鱈に旨いバルサミコ酢だった。このバルサミコと、カラスミ、猪の干し肉は、父、そして友人のための土産だった。「100ml以上の液体は持ち込めない。チェックインカウンターに戻って荷物を預けるか、捨てるかしなさい」と指示された。これからまたチェックインカウンターに戻るのも嫌だったので、泣く泣くバルサミコ巣は捨てることにした。しかし、笑い話として、没収した物は空港の奴らが持ち帰るという話をよく聞いていたので、「もし良かったら使ってください。美味しいですよ」と冗談で言ってみたのだが、思いっきりシカトされた。初めからそのつもりだったのかもしれない。
 あと1つ、出発の際のエピソードとして、何の理由も説明されずに出発が2時間遅れた。周りのイタリア人の話を盗み聞きしていても、誰一人として遅れている理由を説明された人間はいないようだ。漸く機内に搭乗すると、出発前の機長の挨拶がアナウンスされたのだが、ここでも2時間遅れたことを詫びてはいるのだが、理由を言おうとしたところで口篭っていた。何故だ?何か言えない理由なのか?まさか、寝坊か?周りのイタリア人は笑いながら「早く出発してくれよ」と急かしていた。周りの乗客を見ると、まあ先入観もあるかもしれないが、やはりマリファナやる為に行きそうな若者の集団が多い。男だけのグループも何人かいて、やはりこの人達は女を買いに行くのだろうか、と色々想像してしまう。パリ行きの飛行機に乗っている乗客とは全くタイプが違う人間が多いのは確かだった。

 ミラノに帰る際のアムス空港での話。
 友人夫妻が空港まで付き合ってくれた。アムス空港はヨーロッパでも比較的新しく、大きな空港らしい。Easyjetのチェックイン・カウンターでチェックインを済ませる。チェックインカウンターでは、搭乗ゲートは「H」であると言われ、チケットにも「H」書かれた。搭乗時刻が近づいてきたので、友人と別れ、Hゲートに向かい、パスポートコントロールに行った。コントロール官は僕のパスポートに貼ってある数枚の就学ヴィザを見て隣の男性と何か話していたが、結局何も訊かれずにコントロールはパスした。あとは搭乗口に向かうだけで、時間も少し余裕があったので免税店を廻った。特に欲しいものもなかったし、ヨーロッパから出るわけではなかったので免税もされないため、冷かすだけだった。
 さて、そろそろ搭乗口に行っておくか、と思い、「H」と書いてある矢印に向かって歩いていく。ここの空港はやはりかなり広いようで、歩いても歩いてもなかなか「H」に着かない。それでも漸くそこまで辿り着き、モニターを見ると、「H」ゲートは1から8まであった。セキュリティチェックを通過し、再びそこにあるモニターを見て、何番かなぁ、とミラノ行きを探してみるのだが、ミラノ行きが見つからない。何度も何度も探してみて、実際に1から8までのゲートに行ってみたりもしたのだが、ミラノ行きがない。焦った。そういえば、もうこんな時間だというのに周りにイタリア人らしき人もいないし、イタリア語も聞こえてこない。改めてボーディングチケットを見てみるが、そこには確かに「H」とはっきり明記してある。しかし、これはおかしいと思い、近くにいた空港職員に拙い英語で話しかけると、「私は何もわからないけど、確かにミラノ行きはここではないようね。一度戻りなさい」と言われた。ここではない?じゃあ、いったい何処なんだ?戻るって、何処まで戻ればいいんだ?
 でもとにかく、Easyのチェックインカウンターまで戻って確認しようと思ったのだが、パスポートコントロールを通過して、出国スタンプまで押されてしまったので、そこまで戻ることができない。しかしとにかく戻ってみようと思い、また長い道のりを引き返す。この時既に出発時刻まで30分ほどしかなかったで、走った。搭乗口に向かって走る乗客は沢山いるが、戻るために走る人間はあまりいない。途中で、全フライトのスケジュールが乗っているモニターを見つけたので、ミラノ行きを探してみると、搭乗ゲートに「M1」と書いてあるではないですか。血の気が引いた。「M」ゲートは、「H」ゲートとパスポートコントロールの場所が違うのだ。だから、そこからそのまま「M」ゲートに向かうことなどできないのだ。また一度、オランダに入国しなくてはならない。時間もない。とにかく入国ゲートを探そうと思い、また走った。しかし、出国ゲート内に、果たして入国ゲートがあるのだろうか。ないのではないか、という不安が頭を過ぎる。でもとにかく探しに探して、見つけた。あった。すぐにそこのお兄さんに事情を説明するが、かなり焦っている上に半泣きで、英語もままならないので、始めのほうは、「何言ってるんだ?」という顔をされた。でもとにかく、英語の単語とゼスチャーを織り交ぜて必死に説明していると、漸く理解してくれたようで、「早くそこに向かいなさい」と、入国スタンプを押してくれ、「M」ゲートまでの道のりを説明してくれた。再び走る。階段を駆け上がる。「M」ゲートを見つけ、半泣き息ゼイゼイでパスポートコントロールに突っ込む。一瞬、何だこいつという顔をされたのだが、僕があまりに哀れに見えたようで、すぐに状況を理解してくれ、荷物検査もそこそこに、通過させてくれた。そこでまた、出国スタンプを押された。今日だけでアムスのスタンプ3つゲットだ。またまた走って「M1」ゲートに向かう。そこに到着すると、既に半分以上の乗客が乗り込んでいたが、何とか間に合った。あんなに寒かったのに、あんなに汗掻いていたのは僕だけだった。まあとにかく、間に合ってよかったです。スピルバーグの「ターミナル」の主人公と似たようなことになるところでした。
 これがイタリアの空港だったと考えるとゾッとする。たとえこちらがイタリア語を話せても、とにかく「責任」という言葉にネガティブなイメージしか持っていないイタリア人は、僕のような困っている人間に対しても、自分の責任を逃れるために助けてくれないという可能性もあったかもしれない(実際にそういうことは多く起こっている)。オランダ人が優しくて機転の利く人間で本当に助かった。まあ、Easyのチェックイン・カウンターのねーちゃんは完全に間違えやがったわけだが。おっちょこちょいなところもあるようです。

posted tomoyuki : 09:45

13.12.06

Amsterdam

 4日間ほど、アムステルダムに行っていた。マリファナと女を求めていたわけではなく、父が仕事の都合でアムスに滞在することになったので、会うことにしたのだ。Easyjetで往復約130ユーロ。もっと早く買っておけばもっと安く行くこともできただろう。まあでも、飛行機に乗って往復2万弱はやはり安い。1時間半で着いてしまうし。
 今回は自分ために時間を使うのではなく、父と一緒に時間を過ごすことを第一とした。結果だけ言うと、良い時間を過ごせたのではないかと思う。一度も険悪なムードにならなかっただけでも今までとは違うだろう(まあ、向こうが気を使ってくれたのかもしれないが)。観光したのだが、沢山廻ろうとしないで、行ける範囲をゆっくり見て廻り、後は会話が占めた。お互いにそれを望んでいたんじゃないかと思う。二人だけで会うのも珍しい。
 僕はイタリアに来てから成長しているのだろうが、父はやはり年をとった。昔ほどのパワーを感じない。こういうものなのだろう。
 
 父を空港で見送ってから、アムスに住んでいる友人N夫妻に会った。忙しい中、わざわざ時間を割いてくれたことが嬉しい。車で拾ってもらってから、「どこか行きたいところはあるか」と訊かれたが、正直特に見たい場所はなく、まあ久し振りにゆっくりカフェでお茶でもしながら話せたらいいなぁ、と思っていた。しかし友人N氏はどこかに連れて行きたいようで、「本当に行きたいところはないのか?」と何度も訊いてくれた。何度尋ねられてもないものはなく、こういう僕みたいな観光客が一番案内する方にとっても遣り難いのだろうと感じ、スーパーでお土産を買うのはどうかと提案してみた。友人N氏は嬉しそうに車を発進させた。
 スーパーを一通り見て、それから中華に夕食に行った。奢ってもらった。ここでもゆっくり話すことができて良かった。それからN氏宅近くの飲み屋に行き、ビールを飲んだ。帰りは送ってくれるというので、少し速いペースで飲んだ。父と時間を過ごしたことで、ホッとしていたのか、本当に珍しく酔いたかった。そんなに酔わなかったけど。
 明日の朝、搭乗時刻まで、また付き合ってくれるというのでその日は早めに解散した。

 次の朝、僕がアムスで唯一行きたかった場所に連れて行ってもらった。何処でも良いので、墓地を見たかったのだ。N氏は自宅近くのユダヤ人墓地に連れて行ってくれた。どうやらオランダで一番古いユダヤ人墓地らしく、墓石には16--年とか書いてある。本当か?16--年って、ここにもう墓地があったってことなのか?墓地は非常に僕を興奮させた。今回は時間がないので写真は撮らなかったのだが、また来ても良いかもしれない。友人が住んでいる間にまた来よう。

 それにしても、今回オランダ料理を一度も食べなかった。ほかの国の料理が充実していて、安くて旨いので、わざわざ評判の悪いオランダ料理を食べる必要もなかったのだ。ここがイタリアと違う。イタリアは自分達の国の料理に自信を持ちすぎていて、ほかの国の料理に対する心が少し狭い。まあ、実際イタリア料理は世界レベルで見てもトップだと思うが、さすがに8年も住んでいたら飽きる。そういう時、外国料理屋が少ないと、競争もないので値段も高く、味も質も上がらない。

posted tomoyuki : 14:47

12.12.06

Babel

 先日、Alejandro Gonzalez Inarritu監督最新作のBABELを見に行った。日本ではそろそろ公開らしい。イタリアでは珍しく、台詞の殆どが字幕だったので早すぎてついて行けず。一応、英語の部分はイタリア語に吹きかえられているのだが、殆ど英語の台詞がない。しかし、何でもかんでも吹き替えてしまうよりは、こちらの方が全然宜しい。
 メキシコとモロッコの描写は僕が行ったこともないということもあって、はまっている感じがするのだが、東京の描写はやはりイマイチ。Sofia CoppolaのLOST IN TRANSLATIONを見た時も感じたのだが、外国人が東京のネオン街を撮影すると、なんだか色が暴力的過ぎて、眼が痛む。しかし、これが現実なのだろう。たとえ短期間でも自分はこんなところに住んでいたのかと、吃驚する。しかしおそらく、東京に住んでいる日本人は、自動的に視覚のある部分の能力をオフにしているのだろう。そのようなことが可能なのかどうか判らないが、そうでもしなければ、頭がおかしくなってしまう風景で、東京は満ちている。
 映画字体は、きちんとわかり易いオチも付いていて気持ちが良い。DVD買いかしら。

posted tomoyuki : 11:09

05.12.06

Zeiss-6x6

 2眼って全てそうなのかもしれないが、ファインダーを覗いた時に見える構図よりも、実際に仕上がったフィルムに写っている構図のほうが一回り広角で出てくる。ファインダー内では特に上下がフィルムサイズでいうと各5mm程削られているようだ。確かに2眼だとファインダー用のレンズと実際に撮影するレンズの位置が違うので、どうしても覗いたままの画像が出てこない。それを考えると、なるほどよく出来ているな、とは思うのだが、これまでトリミングというものを殆どしてこなかった僕にとっては、トリミングを前提に写真を撮るというのがとても難しい。というか、ファインダーを覗いた感覚とフィルムを見たときの感覚が一致しないと、大体の場合において、もうそのフィルムを使う気にはなれなくなってしまう。しかし、プラスされる分を考えながら撮影するのも非常に難しいことだし、それならば大きめで撮ってトリミングしたほうが全然効率が良いのも確かである。慣れだな。

posted tomoyuki : 09:16

04.12.06

キテイル中華街

 12月に入り、ミラノの町には例年通り、クリスマスのイルミネーションが灯り始めた。日本に比べると全然お金をかけていないので見劣りするが、まあそれでも綺麗なものである。
 先日中華街に行って驚いた。なんと、普通のイルミネーションに、赤い中国提灯がぶら下がっているではないですか。去年まではそんなことなかったのだが。横浜の中華街では別に普通かもしれないが、こっちの中華街はあまりイタリア人とうまく行っていないイメージがあるので、驚く。時々「中国人出て行け」的デモを起こす周辺イタリア住民のことが新聞に載るし、中華街を歩いていても、あまり感じの良い空気は流れていない。大体1キロ平米ほどの区画に中国地区を作ってしまった中国人だが、奥のほうに行くと全くイタリア語の通じない中国人が多い。恐らくこの地区の中だけで生きているのだろう。イタリア人ともコミュニケーションをとらないし、とる必要もないと思われる。僕が中華街を歩いていると時々、突然中国人に中国語で話しかけられる。「またか・・・」と思いながら、「僕は日本人です」とイタリア語で言うと、まず通じない。で、英語で言い直すと、「あー」と言ってそのまま中国語でまた話しかけてくる(なんだそりゃ?)。
 で、気になるのが、この提灯はイタリア人との合意のもとで取り付けられたものなのか、それとも中国人が勝手に付けたものなのか、どちらなのかということだ。

posted tomoyuki : 11:41

01.12.06

ポジ仕上がり

 昨日現像に出したポジが仕上がった。ポジで見ると自分のテクニック不足が露呈する。モノクロで撮っていた時に、いかにプリントの時点での補正に頼っていたのかがわかる。やはりポジはそのままでるなぁ。逆行で撮った写真はまるで駄目である。あと、僕のZeiss二眼の固定レンズは75mm、最短距離が1メートルと、ちょっと遠い。ディテイル好きな僕からすると寄りたくても寄れないモドカシイ思いをすることも多々ある。上から除くことになるので、35mmカメラのときよりも、50cmほど視点が低くなるのにもなかなか慣れない。あとは、まだ中判を使い慣れていないため、ぶれやすい。先日一脚を買ったのだが、やはり軽くて頑丈な三脚が欲しい。Mimmoが日本で買ったというカーボン製の三脚は素晴らしく軽かった。ねだってみれば良かった。軽くて嵩張らない土台も欲しい(まあ、土台なんかは墓地内をうろついていると何かしら見つかるのだが)。
 今回のミスは半分カメラのせい、半分僕のテクニック不足のせいということで、何とかカラーでもいけそうである。ただ、やはりカラーで見せられると、そこから何も湧いてしない。自分で撮るから尚更なんだろうが、モノクロは考えさせる。

posted tomoyuki : 11:01