一昨日、イタリアの喫煙に関する法律がまた改正され、(おそらく)100%の公共の場での禁煙が確定した。前回改正された時は、喫煙席と禁煙席を分けるというもので終わったが、今回は喫煙者にとってはかなり厳しくなることになった。ヨーロッパの中での禁煙後進国イタリアが強い態度に踏み切った。今日、いつも行くbarに行ったのだが、このbarは以前は全席喫煙席であった。しかし、やはり今日は全席禁煙になっていた。
公共の場所、および子供の前、そして妊娠中の女性の前での喫煙には、22ユーロから250ユーロくらいまでの罰金、レストランやbarなどは禁煙場所での喫煙者を発見した時点で通報する義務があり、それを怠ると、220ユーロから2500ユーロの罰金が科せられる。巨額だ。
この法改正の問題点は、今までbarの中などで喫煙していた人間が、外で喫煙することが増えるということだ。今日行ったbarでは、喫煙者の多くがコーヒーを飲んでからbarを出て外で煙草を吸い、そのまま道端に吸い殻を捨てる姿が目立った。これでミラノの街がまた一段と汚いものになるだろう。同時に、煙草の投げ捨てに対しても罰金を科すようにしないと、意味がない。また中途半端な状態がしばらく続くことになる。次の法改正で、おそらく投げ捨て禁止になるのだろう。そうなったら本当に喫煙者の居場所がなくなる。まあ、そのくらい強制的に排除するのも良いと思うけどね。

午後2時くらいにLinaの家に行き、彼女の顔を最後に見てお別れする。
それから家族だけの時間となり、僕らは下で棺が出てくるのを待っていた。棺が霊柩車に乗せられ、ゆっくりと近くの教会に向かう。僕らはその車のあとを歩いて付いていく。
教会にて、日本で言う葬儀を行い、その後Cimitero maggioreまで運ばれ、埋葬された。棺が地面の下に埋められ、その上に多くの花が捧げられる。
また改めて、お墓参りに来よう。

起床すると、やたらに寒気がし、「遂に僕も風邪ひいたな、この冬はよくここまでひかずに頑張れたものだ、もう年貢の納め時かもしれない」なんて1人で考えていたのだが、PCを弄っている間、家に備え付けの暖房を点火するためのガス湯沸かし器がいつまで経っても無反応なことに気付く。チェックしてみると、なんの針だかわからないが、普段は「2」くらいのところを指している白い針が「0」を指していた。あぁ、これか、と思い、一度湯沸かし器の電源を切り、もう一度つけて、色々弄っているうちに再び点火してくれた。良かった。壊れたら一大事である。
夕方、Nobuさんの家に行くために家を出たところ、外にはものすごい濃い霧が立ち込めていて、一瞬火事かと思う。それにしてもこの濃さは尋常ではない。ミラノの町中でこのような濃霧を目にしたのは初めてのことかもしれない。須賀篤子の「ミラノ霧の風景」に描写されていた濃霧ってこんな感じだったのだろう。おそらく数十年前はしばしば町中にもこのような濃い霧が立ち込めて住民を困らせたに違いない。
このような濃い霧がでると、その霧自体に匂いが付いていて、それはあまり良い匂いではない。「霧の匂い」ってやつなのかもしれないが、おそらくこの街のスモッグの匂いが染みついているのかもしれない。

昨日から意識のなかったyのマエストロが、静かに息を引き取った。享年70歳。
彼女が息を引き取った時、僕らは彼女の家の下にあるbarにいた。そのbarに彼女の息子がコーヒーを飲みに来て、その時初めて息を引き取ったことを知らされた。ベファーナの祝日の、静かな午後。これでもかというくらいに綺麗に晴れわたった真っ青な空。まだヴァカンスから明け切っていない、交通量の少ないミラノの街。
すぐに彼女の家に行くと、彼女の身体がある部屋のドアは閉まっていて、今遺体に服を着せ、綺麗に体を拭き、化粧を施していると、彼女の身内の人が教えてくれた。僕らはそのドアの前で立ったまま、彼女と対面できる時を待っていた。身内の人達が、彼女の寝室から出たり入ったりしている。部屋の整理をしているのだろう。そこにいる多くの人が、疲れ切った顔をしていたが、yを見ると、強く抱きしめて声をかけてくれた。僕はその傍で黙ってそれを見ていた。
Linaと僕は合計では5回ほどしか顔を合わせたことがなく、そんなにたくさん話したわけでもない。僕が知っているLinaは、yから聞いたLinaだった。若い頃のLinaはばりばりの優秀なニット職人で、自分のブランドを持ち、今はyが使っているLabも元々はLinaのものだ。
yを娘のように愛し、同時に、自分の培ってきたニットのテクニックを伝授できる弟子としても、yを本当に気にかけていた。
yが僕をLinaに紹介した時、彼女は胃の摘出手術を終え、ベッドの上での生活者になっていたが、本当に喜んでくれ、2人が共に助け合って生きていくよう、仕事の支えになれるよう、アドバイスをくれた。説得力のある言葉だった。
Linaが眠っている部屋のドアが開かれ、身内の人達が1人1人Linaに対面していき、僕とyの番になった。
小さくなったLinaがベッドの上に静かに横たわっていた。彼女がばりばり働いていた時に彼女自身が作った可愛いヒラヒラの付いたグレーのニットを着ている。yはじっと彼女の顔を見つめ、お腹の上で組まれた彼女の手に自分の手を重ね合わせる。声には出さないが、きっとLinaとのお別れをしていたのだろう。最後にLinaの手にキスをして部屋を出る。部屋を出た途端、yの感情が高ぶって、強く泣き始めた。白い壁におでこを押し当て、本気で泣いた。僕はそんな彼女の肩に手を置いているだけで、何も声をかけなかった。ただ、彼女が泣けるだけ泣かせてやりたかった。Linaの娘のPaolaがyを後ろから抱きしめ、声をかけた。
「Linaが天国に行って、私たちを見守ってくれることを、あなたが一番よく知ってるでしょ」
yは泣きながら、何度も何度も頷いた。
夜、2人でyの家の近くの飲み屋に行き、アペルティフをした。yはフルーティなカクテルを、僕はテキーラベースの温かいコーヒーを飲んだ。2人でLinaに乾杯した。
悲しむだけで終わってしまったら、それは本当に悲しいことだ。それよりも、彼女が僕らに残してくれたものを僕らがしっかりと受け止め、実感し、行いとすることが、Linaに一番喜んでもらえることだと思う。この世にLinaというイタリア人のニット職人が生きていたという、生きた証明を僕らは持っている。

新しい年になりました。明けましておめでとうございます。・・・と、blogに書くのもどうかと思うが、一応。
最近全くblogの更新をさぼっていたので、また今年から書き始めようと思う。ミラノ、一時期雪が降りそうなほど寒かったのだが、ミゾレっぽいもので終わり、最近また太陽がさんさんと照っていて暖かい。まだイタリア人は冬のヴァカンスから明け切っていないので、交通量が少なく、空気がとても澄んでいて気持ちが良い。
年末、友人達数人で、本場アルプス初スノーボードに行った。友人が車に乗せていってくれたのだが、大体1時間半ほどで着いてしまう。日帰りを2日続けた。もう次の日は足がほとんど上がらず、シャワーを浴びていても腕に力が入らず、うまく頭が洗えなかった。
約7年ぶりのスノーボードだったのだが、その7年間で、僕は本当に根性無しになってしまっていた。滑っていても、怖くてスピードが出せないのだ。ちょっと急な斜面だったりすると、すぐにエッジで降りてしまう。高校時代は本当に怖いもの知らずだったなと思う。転ぶのを怖がっている時点でこれ以上僕のスノーボードのテクニックは上がらないだろう。しかし、痛いのが嫌いなのだ。精神的に痛みを得ることに対しては覚悟は出来ているつもりだ。しかし、身体的に痛いのはイヤだ。
こっちのスキー場の食堂は、もちろん日本とは大きく異なっていて、カレーやラーメンなどあるわけもなく、堅いピザを食べた。旨くない。
ウェアーを友人に借り、ボードと靴はスキー場で借りたのだが、ボードと靴を借りて18ユーロ(約2500円)、一日リフト券が25ユーロ(約3500円)と、日本に比べて安い(日本がいくらだったか覚えてないけど)。
日本ではあまり見ないのだが、股に挟むタイプのリフトがあって、それももちろん初体験であり、実はこれが一番面白かったりする。ちょっとバランスを崩すと転んで置いていかれるのだが、もともとスピードが出ていないので痛くないところがとても良い(屁)。
スキー場がとにかく広い。そう感じるのは、日本と違ってポールの量が極端に少ないからだろう。滑ろうと思えばどこでも滑ることが出来る。自由奔放。場所は提供しますから、あとは自己責任でと言われているようだ。
また行きたいな、と思う。

クリスマスはもちろん礼拝。年越しも礼拝で。こんなに静かなクリスマスと正月を過ごしたのは生まれて初めてだったのだが、悪くない。僕にとっては、このクリスマスがある意味生まれて初めてのクリスマスだった。数年前の日本でのクリスマスは、敢えて朝から夜まで漫画喫茶に入り浸るという自虐行為に及んだのだが(それも、24,25の両日)、あれはあれで静かなクリスマスだった。客が本当に僕1人しかいなかったので、なぜかそこで優越感を感じていた。1人でクリスマスを過ごす連中も沢山いるはずで、漫画喫茶に行きたいと思っていた連中も少なくないと自分で勝手に決めつけ、そこで行動にでた僕はある意味みんなよりも秀でている、などと戯けたことを考えたあの日・・・。
自分が属しているコミュニティでの、自分の責任。みんなの責任。僕は当たり前のことが出来ているのか、とここ数日でたくさん考えさせられた。実感するということ。感謝し、それに答えるということ。慣れてしまって、「なんとなく」で日々が過ぎていくのが一番怖い。僕はどこまで実感できていて、それに対して、どのくらい危機感を感じることが出来ているだろう。基本的に甘えている自分がいて、甘えようと思えばいくらでも甘えられてしまう環境の中で、責任を保つ難しさ。いや、難しいことではないのだろう。本当に心からの感謝があれば、責任なんて自然と感じるし、何でもしたいと思うのだ。喜びが伴った行い。