31.08.04

DVD Player

 午前4時くらいに目が覚め、また部屋の掃除をする。
 午前中のうちに、郵便局、スーパー、眼鏡屋、韓国食材屋、電気屋、文房具屋を廻り、それぞれ用事を済ませる。さすがにちょっと疲れた。当然だが町中はイタリア人ばかりだ。この一人一人に一体この夏はどこに行っていたのか聞いて廻りたい。
 いやぁ、買っちゃいました。電球買うために電気屋に行ったのに、違うもの買っちゃいました。DVD Player。だって安いんだもの。69ユーロ。49ユーロってのもあったが、それはさすがに怖いかな、と。
 始まっちゃうなぁ、cinema life。借りたいもの沢山あるんだよなぁ。またまた今回の家の近くにも我等のVIDEO PLANET(レンタル屋ね)があるし。引きこもるにはこの家ちょうど良いし。部屋真っ暗にして見ちゃうね、こりゃ。

天井崩落。

 午後、家にいると、突然何かが崩れるような大きな音がした。はじめは外の音かと思った。また工事再開してしまったのかと思った。しかし、トイレに行って愕然とする。トイレの床一面に瓦礫が散乱していたのだ。一体何が起こったのかわからなかった。
 トイレの天井の一部分が崩れて、そこだけセメントが剥き出しになっていた。このままだと、どんどん崩れていきそうな雰囲気だ。かなり危ない状況である。床に散乱した瓦礫を見てみると、直撃したら普通に大怪我をしそうな大きなものも転がっている。
 これは間違いなく工事の影響だろう。そのうちリビングの方の天井も剥げてくるかもしれない。というか、この家潰れねーだろうなぁ・・・。壁のそこら中に無数の亀裂が入っているんですけど。別に築何十年も経っているわけではないので、典型的な欠陥住宅ってやつですね。僕がイタリア人だったら訴えるね。時間あるし。潰れたら間違いなくあの世行きだな。

久し振りにj。

 夜、ジュン君とS氏と共に夕食。家の近くのレストランでパスタを食べる。
 やはりj君のノリはすごい。ついて行くのがやっとだ。

moscow

 モスクアの友人からのmail。最近yah00などでモスクアとか、テロとか、チェチェンとか、イスラム武装勢力とかいう文字をものすごくたくさん見る。かなり緊張した状態らしい。地下鉄に乗るのも怖いだろう。1年ほど前のミラノの状態なんかよりもずっと酷いことになっているはずだ。
 詳しい話はあまりよく知らないが、かなり色々な事柄が絡み合った状態になっているのだろう。
 無事を祈る。

30.08.04

また。

 昨夜遅く、ものすごーい不愉快な感触を鼻に感じたと思ったら、出血していた。当たり前だが涎の跡よりも鼻血の跡の方が色が濃い。そろそろ意識して肉食べないと貧血に陥るなぁ。

時間。

 ぎりぎり午前中に起床。頭の怠さは未だ抜けず。吐き気は消えたか。
 怠い怠いと言いながら、家でゴロゴロして自分の歩みを止めても、もちろん周りの時の進行は止まらない。時間を追い越すことは出来ないってマッキーが歌っていたが、かといってついて行くことを止めることなど出来ず。ついて行かなくてはならない。
 「時間が俺に付いてくるぜー」と錯覚するくらいが今の僕には丁度良いペースかもしれない。

定期。

 9月からバスの定期が新しくなるので、更新するためにDuomoのATMに行く。混みすぎ。もっと早く来れば良かった。30分以上待って僕の番。いつも通り、手続きは5分。今年は一ヶ月ずつ更新するのが面倒なので、1年分一気に買った。1年分を買うメリットとしては、「毎月定期を買い直さなくて良い」「普通は7,8月の定期は売らないのでかわりに回数券や一週間券などを買わなくてはならないのだが、1年定期だとその月もそのまま乗れる」「月の定期が17ユーロ、一年定期は170ユーロ、一年は12ヶ月なので2ヶ月分お得」の3つがある。デメリットとしては、「無くすと買い直さなくてはならない羽目になり、かなり損をする」というのがある。
 
 郵便局に行き、日本に荷物を送るための箱を買う。

癒し系。

 Yとmail交換していた時に気付いたのだが、自分のテンションが上がっている。ちょっと驚いた。

29.08.04

掃除しながら鼻血。

 朝早くに起きたのだが、怠さは昨日に引き続きつきまとっている。部屋の掃除をしていると、突然両方の鼻から鼻血が出てきた。はじめは鼻水かと思ったのだが、あまりにも勢いよくボタボタ垂れるので鼻血と気付く。Y宅で右から鼻血を出していたので、今回もそうかと思い、右の鼻を押さえるが、止まらない。左からも出血していた。両方から一緒に鼻血が出るなんていうのは初めてのことで、驚く。とにかく掃除を中断させ、鼻にティッシュを突っ込んでbedに横になる。血はなかなか止まらず、ティッシュを何度も交換する。一体どうしたんだろう。

 今日は家で一日ゆっくりしていようかと思ったが、この家ではやはり心を落ち着かせることができない。何故か考えてみた。
 僕のように我が侭で、自分の殻に閉じこもるタイプはやはり、どこかに自分の世界がないと耐えられない。実家にいる時は僕の部屋、一人暮らししている時はもちろん自分の家になる。しかし、自分の家と言っても、今の家のように、他の人間の匂いがするような家ではダメなのだ。極端な話、100%自分の所有物に囲まれていなくてはならない。
 ちょっと気合い入れて、他人のものは全て見えないところに移してしまうか。そうなると、また出さなくちゃならなくなった時に面倒なんだが、まあこのままの環境に囲まれてずっと暮らすよりは良いだろう。といっても、タンスは動かせないからなぁ。
 なんか全然意味ないこと喋ってるよなぁ、僕。こんなことをグダグダ言っていても何も前には進まないのだ。周りの環境のせいにするのは間違っている。

骨董市。

 というわけで、家にいることに限界を感じたので外に出ることにした。鼻血はとっくに止まったが、トイレットペーパーを持って家を出る。今日は月の最終日曜日。Naviglioの骨董市だ。
 外は暑い。陽射しが強い。骨董市は相変わらず人でいっぱいだった。店も前来た時とほとんど何も変わっていなかったが、久し振りに来る骨董市は楽しかった。ウルトラマンみたいなサングラスを悩んだ末、買う。15ユーロ。今頃みんな、礼拝を終えた頃だろう。

ノスタルジー。

 今日家から出たのは正解だった。ゆっくり外を散歩して、少しだけスッキリ出来たような気がする。
 骨董市を廻っている間に感じたのは、僕は今、おそらくノスタルジア症候群にかかっている。というか、ぶっちゃけ軽くホームシックだ。毎年夏は実家に帰っていた。今年は珍しく帰らなかった。周りの友人はほとんど日本に帰っている。ホームシックを感じても不思議ではない。
 しかし、これ系の望みはどっちかというとあまり意味がない。ホッとしたい、少し休みたい、などの感情は、言うなれば一種の現実逃避である。現実からしばらく逃避したところで一時的な休息にはなろうが、長い目で見ると無意味だ。まあ、たまには必要だと思うけど、僕は前の冬に日本に帰っている。まだホームシックになるのは早いだろう。

イザヤ書29章。

 13,14節。
 この民は口でわたしに近づき 唇でわたしを敬うが 心はわたしから遠く離れている。
 彼らがわたしを畏れ敬うとしても それは人間の戒めを覚え込んだからだ。
 
 それゆえ、見よ、わたしは再び 驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。
 賢者の知恵は滅び 聡明な者の分別は隠される。

 23、24節。
 彼はその子らと共に 民の内にわが手の業を見てわが名を聖とする。
 彼らはヤコブの聖なる者を聖とし イスラエルの神を畏るべきものとする。

 心の迷った者も知ることを得 つぶやく者も正しく語ることを知る。
 

28.08.04

箴言28章。

教えに耳をそむけて聞こうとしないものは
その祈りも忌むべきものを見なされる。

 自分は教えを聞いていると思っていた。忠実ではないにしろ、理解しようと努めていると思っていた。しかし、僕は本当に理解しようとしていたか。表面的な部分だけを自分の思う通りに解釈し、納得していたのではないか。
 祈りが忌むべきものとなるというのは、今とてもわかるような気がする。実際、自分がそうなのだ。それでは一体どうすれば良いのか。「神が自分の言っていることを聞いているということを信じさせてください」、そう祈ってみようとYが言ってくれた。そう祈りたい気持ちは山々だ。素直に、真っ直ぐな気持ちでそう祈れたらどんなに良いだろう。しかし、今の僕ではその祈りさえも、忌むべきものとしてしまいそうで怖い。今の僕はかつてないくらい歪んでいる。

??

一体どうした。体がやたらに重いぞ。
街は今週末から活気づいてきている。ヴァカンスに行っていたイタリア人が戻ってきた。
それとほぼ同時にこの体調。おかしい。

27.08.04

S氏とYさんと私。

 僕が仕事を始めたお祝いにと、S氏とYさんが昼食をご馳走してくれた。ガリバルディ駅近くにある、Yさんお勧めのイタリアンレストランに行く。
 S氏がミラノにいなかったら僕はどうなっていただろう。もうとっくに日本に帰っているかもしれない。何もわからずに、同じ過ちを繰り返す僕に対して、歯に衣着せぬ言い方で助言をくれるのは彼だけだ。本当に、ありがとう。僕は彼の助けになれているか。
 10離れたクソガキに、ここまで親身になってくれる人間はそういない。同姓だったら尚更で、やはりこちらを23歳の人間として意識して話す。まあ、それは当然といえば当然なのだが、それが壁として見えてしまうと、こっちとしても話そうとする意志が消える。極端な話、こちらが生意気なことを言っても、まあ、まだ23だからな、ということで無言で許されてしまうのだ。許すな。「妙な寛容さ」が身に付き始める人間が多い。大人になるということは、自分の感情を半分無意識に押し殺すということか?そうやって顔が死んでいくんだ。僕は、たとえ大人じゃないと言われようが、日本に大勢いるような死んだツラした30代にはならないぞ。
 まあ、自分でも勝手なこと言ってるとは思うが、僕は10離れた人間から、色々なことを盗んでやる気満々なのだ。僕の周りの人間はそれほどクオリティが高い。盗んだものを如何に噛み砕いて自分のものにするか。まあ、そこでどうしても欠けてくるのが経験なのだが。

G。

 夜、Yの家に夕食をご馳走になりに行った。Yと、同居人のGが誘ってくれたのだ。今日はご馳走されっぱなし。
 Gがビビンバを作ってくれる。僕のだけサラダボールに盛られていて笑った。ソースはコチュジャンではなく、醤油ベースのものだった。コチュジャンに飽きたらこっちにするというのは非常に使える。上に乗っている具も今まで食べさせて貰った物とはちょっと異なっている。旨かった。ビビンバを食べる時にはやはりスープが欠かせない。
 食べ終わり、そのままお酒を飲みながら会話する。
 楽しく会話していると、いきなり鼻血が出た。女性2人に囲まれてのぼせたらしい(んなわきゃない)。なんで話しているだけで鼻血が出るんだ。酒飲み過ぎか?そんなに飲んでないぞ? なんか危険な香りがする。・・・病気?
 鼻にトイレットペーパー突っ込んでソファで横にならせてもらっていたら、そのまま寝てしまった。いや、起きた時にはトイレットペーパーなかったから、鼻血が止まってから寝たのかもしれない。正直、このあたりの記憶が曖昧だ。Yといるとどうしてもリラックスしてしまうんだが、リラックスしすぎである。記憶が曖昧になるというのはどう考えても良くない兆候だろう。

 起きたのは2時過ぎだった。なんかうるせーと思って目を開けたら目の前にGの顔があって大きな声で何か言っている。今となっては何を言っていたのか全く覚えていないが、彼女はすっかり酔っぱらっているらしかった。Yはそろそろ寝たいご様子。当然だ。明日も仕事なのだ。
 90番のバスの最終が2時くらいだったことを思い出し、自分でも一体何しているのかわからないくらい寝惚けながら帰る準備をする。Yが車で送ってくれると言ってくれたが、それはさすがに悪いと思い、開き直って泊めてもらうことにした。
 ようやく頭が元に戻ってきたので席に着き、瓶に半分ほど残ったビールをコップに注いで飲む。その場で寝れるということになると、もう何も恐れるものはない(偉そうですけど)。ノリ的には、起きたばっかりだし、朝まで付き合っちゃうよ、ってな感じだったのだが、2人とも次の日仕事なのでそういうわけにもいかず。
 それにしてもGって酔っぱらうと明るくなるね。普段はちょっとツンとしているところがあり、話しかけづらいオーラを身に纏っているのだが、酔っぱらうとそれが完全に消える。多分こっちの明るい方が素のGなのだろう。とても自然で良かった。結構楽しかったのだが、そろそろお開きにした方が良いなと思い、Gに残ったビールを全部飲ませて寝ることにした。ソファがあるとやっぱ良いよなぁ。

26.08.04

箴言26章。

犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。

バカだ。死んでも治らない。死んで治るんだったらまだ救われる。
僕はとてつもなく大きなものを失おうとしている。

25.08.04

箴言。25章。

銀から不純物を除け。
そうすれば細工人は器を作ることが出来る。

読み物。

 小林恭二の「父」を読み、次に手に取ったのが幸田文の「おとうと」、そしてそれが終わって今読んでいるのが柳田邦夫の「犠牲(サクリファイス)」。最近なんだか家族物によく目がいく。他の本はなんだか読む気になれない。というか、もうほとんど全て、最低3回は読んでしまった本ばかりだ。
 まだ読んでいない本もあるにはあるのだが、平野啓一郎はとてもじゃないが今は読めん。彼の本はもう何回トライして、投げ出しただろう。ちょっとずつ、長く読めるようにはなっているんだけどね。
 日本に帰っている友人に、遠藤周作を買ってきてもらおうと、mailを書いた。こういう時しか彼にはmail書かない。まあこっちに戻ってくればしょっちゅう会うわけだし。あー、長嶋有の新刊も頼めば良かった。

痙攣

 朝9時、目覚まし時計の音で目覚め、ベッドから起きあがろうと上半身を起こすために腹筋に力を入れ、両膝を曲げた途端、左の脹ら脛が攣った。あまりの突然さにわけもわからずベッドの上でのたうち回る。一人、誰にも気付かれずにベッド上でのたうち回るというのは本当に寂しい事だ。助けが来ない。まあ、人がいたとしても別に何をしてもらうってわけでもないんだが、気持ち的に近くに人がいる方が、のたうちながらもホッとする。

 左足の親指を掴んで手前に引っ張ろうと努力するが、あまりの痛みでそれもまともに出来ない。結局5分ほどのたうち回って落ち着くのを待った。ベッドから起きあがった今も思いっきり痛い。
 スポーツをやっていた学生時代もよくベッド上で攣るという事があった。しかし、途中から段々、その前触れ的な違和感を感じる事が出来るようになってきて、回避できるようにもなった。コツはゆっくりと攣りそうな足を動かして、動かしながらも力は抜いて、心も落ち着ける。足首の角度に気をつけながら足を正座の形に畳む事が出来たらその夜は間違いない(何が)。言葉にすると簡単に聞こえるかもしれないが、この時は結構綱渡り的な恐怖がある。その恐怖に打ち勝つ必要はない。やり過ごすのだ。力んだら最後、自分に負けたと思うと同時に、激しい痛みがあなたを襲う事だろう(誰、俺)。
 で、今回攣ってしまったのは、ベッド上で攣るのがあまりにも久し振りなため、回避の仕方を体が忘れてしまっていたからだろう。いやぁ、久し振りに理不尽な5分間を過ごしたね。攣ってしまったらどうあがいても痛みは消せないしね。ベッド上でなければ、アキレス腱を伸ばせば多少マシになるのだが、ベッド上だとそれがちょっと難しい。ベッドから降りて伸ばせばいいじゃんとか思うかもしれないが、一度攣ってしまったらそんな余裕はない。
 前回足が攣ったのはいつだったろう。そんなに遠い昔じゃないような気もするが、思い出せない。何故今日足が攣ったのか考えてみた。おそらく、昨日久し振りに街の中心に行き、本屋などを廻るために結構歩き回ったせいだろう。まあ、距離的には別にそんな歩いたわけではないのだが、なんせ最近ほぼ一日中PCに向かっているという事が多かったので、昨日の徒歩は突然の運動みたいな効果を及ぼしたのだろう。・・・って、俺ってそこまで運動不足なわけ?
 あ、前回攣ったのはHの家でだった。Hの職場の連中が夕方Hの家の近くの公園でバスケをやっているという事で、参加した日だ。5年以上振りにオールコートの試合を行い、その後Hの家で夕食をご馳走になろうとして彼女の家に行き、玄関で靴を脱ごうとした瞬間に攣ったのだ。いやぁ、あの時のHは驚いてマゴマゴしていた。そりゃそうだろう。家に入ってきていきなりのたうち回る男なんて見たら、わけがわからなくなるに決まっている。こっちはこっちで変に呻き声とか我慢して痛みを助長しても仕方ないので、思いっきり声あげてたし。ご迷惑おかけしまして。

24.08.04

雨と洗剤と私。

 朝、Barに行って軽く朝食をとっていると、雨が降ってきた。どうりで寒いわけだ。そういえばジトジトしている。
 朝食後、そのまま自転車でスーパーに行く。最近この、家から歩いて8分ほどのスーパーに行く時ぐらいしか自転車を使わなくなっている。スーパーに行く時はいつもがっつり買い物をするため、それを持って歩いて帰るのはたかが5分といってもなかなか辛い。だから自転車に頼ってしまうわけだが、本来自転車ってもっと遠いところに出掛ける時に使うべきなんだろう。最近、遠いところに行くといっても、PC持ち歩く事が多いので、自転車は使えないんだけど。
 スーパーではとにかく洗剤を買い漁る。床用、机や棚用、トイレ用、キッチン用。計5本もの洗剤を買う。これだけ買えば掃除するだろう、とは、誰もが思う事だろう。ここから先はその人次第。
 Yは、床掃除について、水拭き、洗剤拭き、乾拭きの計3回やるのがベストと言ったが、このやたらに障害物の多い家ではとてもじゃないがそれは無理かな、と思われる。というか、自分のものしかなくて、動かし易ければ問題ないのだが、他人のものが半分を占め、その中には物がぎっしり詰まっていて動かせないとなるともうこの時点でやる気が失せる。タンスの下の隙間などにわけのわからん物が詰まっているというか、詰め込められているのだ。一度この家に火をつけて全焼させ、ゼロからスタートさせた方がまだ上手く事が進みそうである。とりあえず目標は今週中だな。人を呼べるところまで持っていこう。

上から片づけ。

 今日から週末の大掃除に向けて(別に週末である必要はないのだが)、少しずつ机の上などを片づける事を始めた。今日はうちのメインテーブルの上を整理したのだが、そこだけで2袋分のゴミ袋がいっぱいになった。どんな生活しているんだろうか、僕は。まあいいや。次は作業机だ。これが一番問題である。今日はどんどん捨てる事が出来たが、作業机の上にあるものはほとんど捨てる事が出来ない。ここで必要になってくるのが整理整頓の能力だが、それが欠けているんですよね、僕。

チョコという響きが、まずイヤ。

 キットカットってメジャーな割には旨い。最近チョコが無性に食べたくなる。まずいなぁ、これ。チョコが嫌いっていうのが売りだったんだけどなぁ。チョコ好きな男って、僕の中での理想の男性像からかなりかけ離れてるんだよなぁ。それに、チョコ食べたって別に良い事ないもんな。食べ過ぎると煙草以上に害がありそうだし。顔にニキビが出来るって相当良くないだろう。

22.08.04

真っ直ぐ。

 物事をまっすぐ見つめるって本当に難しい。ヒトもモノも。
 それがたとえ、愛する人だとしてもだ。

 デジカメは暫く休業。やはりFilmだ。1年振りに戻る。

20.08.04

ホッとする街。

 どこか、他の国に旅行などに行っていて、イタリアに久し振りに帰ってくるが、イタリアに帰ってきたからといってホッとした事は一度もない。
 このことは、常々言っている事だが、よく考えてみると、FirenzeやSienaに行くとホッとする。Firenzeは僕が一番最初に滞在した街。Sienaはその後の10ヶ月間を過ごした町だ。ミラノに来てからも時々2つの街に遊びに行くのだが、それらの駅に到着した途端、懐かしさとともに、本当にホッとするのだ。街に充満する匂いを嗅ぐと、あぁ、やっぱりここだよなぁ、と思うのだ。という事は、イタリアが僕をホッとさせてくれないのではなく、ミラノが僕をホッとさせてくれないのだ。
 何故か。おそらく、僕がイタリアに来た理由のうちの一つである、美しい中世の街並みがミラノには全くないからであろう。いや、全くではないが、しかしほとんどゼロに近い。あとは、やはり18歳から19歳という、今に比べると桁外れに多感な時期を過ごしたからというのもあるだろう(今も充分多感ですけどね、フフフ)。憧れの地に来る事が出来て、浮き足立っていたし、興奮していた。ミラノに来る頃には、そういうものは半減していたのかもしれない。
 それでも僕はもうミラノだけで4年住んでいるのだ。大学と同じ期間をここで過ごしているという事だ。それならば、それなりに親近感を持っても良いと思うのだが、はっきり言ってこの街には全く親近感を持っていない。これは何故だろう。汚れか?中途半端な街並みか?それとも僕の精神状態か?未だによくわからない。この街を好きって言える時が来るのかなぁ。まあ、もし日本に永久帰国でもするような事になったら、記憶の中で思い出が美化され、ミラノは良かったなぁ、なんて思うかもしれない。というか、絶対に思うだろう。そんなもんだ。

ラピュタ的。

 今日の夕方の空は凄かった。息を飲んだ。もうラピュタが見えちゃったね。

P1070935.jpg

光を捉える。

 今日のlabでの撮影は、肩ラインの部分。苦戦したのは、カシミアの柔らかい毛羽立ちを表現するという事だ。光の入り方で全く違う。あまり光が強いと編み目が目立ちすぎて堅く見えてしまう。光の角度も関係しているようだ。あとは露出。同じ構図で場所を変えて何百枚と撮る。デジカメだからこのような事が可能だが、Filmではちょっと無理。自分が光というものを全く把握していない事が露呈したという意味では、この何百枚という撮影の意味は大きい。Y labだからこれだけやらせてもらえたんだけど。かなり感謝だ。

19.08.04

マタイによる福音書。

 今日はNさんちでこの前見たマタイによる福音書の映画の続きを見た。
 10章34節から39節。ここはぶっちゃけ全くと言っていいほど理解できない。家族を憎めと言っている。敵対しろと言っている。キリストは、平和をもたらすために来たのではなく、敵対させるために来たと書いてある。家族と敵対する事が出来ないと俺の弟子にはなれねーぞ、と言っている。・・・これは深すぎだろう。
 暗に込められた意味を読みとろうとするが、ここはもう本当にお手上げ。気持ち良いほど難解である。
 Yが日本で買ってきてくれた聖書。本当に読みやすい。例えばこのマタイ10章34節から39章の部分、ルカによる福音書の12章と14章にも同じことが書いてあると、きちんと明記されている(同じ場面の事だから当然だが)。見てみると、言葉を変えて同じような事が本当に書いてあった。だけど、それ読んでもわからなかったけどね、これは。
 自分の十字架背負わないと駄目だぞっていうのは何となく言いたい事わかるが(僕はそれが出来ない故に洗礼を受けていないわけだが)、それと家族と敵対する事と、どう関係があるのだろうか。そのくらいでっかいもの捨てる価値あるぞ、俺の弟子になるのはってことか?もしそうだとしても、そんな説明じゃ弟子になんてなれないぞ、僕は。ここで弟子になってる人達って、ちゃんと意味理解しているのか?これ理解するってかなり凄いぞ。そして、理解する以上に、受け入れる事はもっと難しいだろう。口で説明されてどうこうなるものではない。

 やべー、せっかく早めに帰ってきたのにもう1時だ。先に帰ってきた意味がない。早よ寝よ。

18.08.04

写真屋。

 午前中、寝不足のまま写真屋に向かう。ポジの現像を頼む。また無理を言って今日の夕方までにやってもらうことにした。ヴァカンスが終わったらこのような頼みは却下されるかもしれない。
 現像を頼むカウンターにいつもいるおじさんは、2度目の来店の時点で(今日で3度目)既に僕の名前を覚えてくれていた。突然名前で話しかけられる。「やぁ、tomo」「今日の夕方で良いか?tomo」とかこんな感じだ。イタリアではこういうことは珍しくないのだが、5年こちらに住んでいてもまだ驚いてしまう。日本のこのような店では、相当仲良くならないと名前を付けて話すことなどないだろう。イタリア人のこういうところは本当に素敵である。
 語尾に名前を付けて話すというのは実は結構大切なことで、それだけでグッと相手との距離が近くなる。「あぁ、名前覚えてくれたんだ」と思うことで、親近感が湧くし、単純に嬉しい。日本人はあまりそういうことをしない。名前を付ける時は呼ぶ時か、大人数で話している時くらいだ。

 店を出ようとしたところでMINOX35Tの電池がそろそろやばい時期に入ってきていることを思い出し、新しいものを買うことにした。が、その規格の電池は既に製造が中止されているのだ。店員さんに訊くと、案の定売っていないという。しかし、裏技があると言われた。店員さんは僕が手にしていた古い電池を受け取り、それを分解し始めてしまった。まだ使えたんだけど。
 分解してみると、その電池は、小さな平たい電池を4つ重ねた形でできていた。それを見てピンときた。その小さな電池を同じように4つ積み上げて、一つの電池を作ってしまえばいいのだ。ちなみにその小さな電池はまだ余裕で製造されている。おじさんはイタリア人らしく、積みあげた4つの新しい電池を紙テープで巻いて固定した。これで機能したら笑えるよなぁ、と思っていたのだが、ちゃんと機能した。なんじゃそりゃ。
 まあとにかく、このカメラがまだ使えるとわかってホッとした。僕のメインカメラだったので、使えなくなるのは本当に困るのだ。同じような煙草の箱サイズのカメラでは、ローライを持っているのだが、あのカメラはまだ僕には早すぎる。もっと勉強しなくては使いこなせない。

保健所。

 お昼前に家に帰ってきて、今日の夜の仕事の前に少し仮眠をとっておこうと寝る準備をしていたが、実家に電話をしなくてはならないことを思い出し、電話をする。一ヶ月ぶりくらいか。いや、前電話したのがセール中だったので、2ヶ月経ってしまっているかもしれない。そりゃ父からmail来るわな。
 実家も色々と大変らしい。まず、犬のジョンだが、なんと未だに訓練所の檻の中らしい。それが、結構今切羽詰まったことになっているらしく、被害者の女性が全く会ってくれない。そして、保健所に送れと言い続けているらしい。弁護士とも話しているという。なんか話を聞いていると、ちょっと難しい気質の持ち主らしい。
 もちろん今回の件はこちらのミスであるが、被害者がその女性であったことは運が悪いとしか言いようがない。腹立たしかったのは、電話で話した母が、保健所に入れることになったら入れる事になったで仕方ないと思っている事だ。冗談じゃない。保健所になんて入れたら速攻殺されるに決まっているだろう。一体何年あの犬と一緒に生活しているのだ。仕方ないなんてことがあるだろうか。
 僕は今遠い場所にいるわけだし、訊いた話しか知らないわけで、両親は本当にこのことで頭を悩ませているのだろう。しかし、保健所に入れる事だけは阻止しなくてはならない。そこで、何をすればいいかという事をとりあえず母に伝えた。まず、去勢。そして、庭を囲んでいる木の柵の高さを高くする事。去勢は可哀想だとは思うが、保健所で死ぬよりはずっとマシであろう。しかし、おそらくここまでやっても相手の女性にとっては全く関係ないんだろうなぁ。見に来てくれと言っても見に来る可能性はゼロであると思われる。教員家族らしいが、あまりにも教員らしからぬ対応である。
 父が知り合いの弁護士に事情を話したところ、法律的には飼い主側と被害者側の立場に、天と地ほどの違いがあるという。まあ、それは車と歩行者の場合と同じようなものなのだろう。
 保健所だけは阻止するべきだ。訴えられたら訴えられたで仕方ないが、そうなる前に出来るだけ手を打って欲しいものである。 ジョンはもう少し耐えろ。しかし、人を一度、それも悪気があったわけでもなかろう、咬んだために保健所送りになってしまうとは、なんと狭量な世間であろうか。

下がって上がって。

 今日の夜の仕事はなくなった。なんだか一気に暇になってしまい、奇妙な虚しさを感じる。あと15分ほどでプリントを取りに行かなくてはならないが、なんだかそれも面倒になってしまう。別に明日取りに行ったって良いのだが、店のおじさんに今日取りに行くと言ってしまった。なんかどっと力が抜けてしまったなぁ。なんだろう、これは。

 なぜか急にテンションが下がってしまい、「これまずいなぁ」と思っていたのだが、写真屋さんのテレビで流れていたフェンシングの試合を見てまた一気にテンションが上がった。女子フェンシング個人。
 4年前のシドニーオリンピックで、たまたまフェンシングの女子団体を見ていてはまってしまった。死闘の末の金メダル。あの時は泣いた。
 その時、チームを引っ張っていたベツァーリの試合がやっていた。準決勝戦。かなり良い勝負だったが、勝った。勝ちの瞬間、彼女と一緒にガッツポーズ作っちゃったね。そのあと家に戻り、フェンシングのニュースをネットで見てみると、なんともう一つの準決勝戦ではこちらもイタリアのトリッリーニが勝利しているではないか!
 という事は、決勝戦はイタリア人同士の戦いという事になるではないか!なんてことだ!!それも、ベツァーリが世界ランク一位。トリッリーニが二位なのだ。これはすごいぞー!
 というわけで、すぐにテレビをつけてオリンピック中継を探す。しかし、この家にはテレビの電波が入らない!アンテナをいろんな方向に向けて、何とか見れるようにする。既に決勝戦が始まっていた。画質が荒すぎて細かい数字などが全く見えないので、実況で判断するしかないが、どうやらベツァーリが5ポイントほどリードしているらしい。
 結局その差を最後までベツァーリが守りきり、世界ランク1位の意地を見せる事となった。いやぁ、素晴らしいね!やっぱりフェンシングだね。それも女子だね。かっこいいわぁ。ちなみに、男子フェンシングも結構強い。団体戦っていつやるんだろうか。また泣いちゃうよ、これは。

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私欲。

 欲、欲、欲、いつも欲だ。私欲。欲というものでは求めていきたくないモノがある。欲によって得たものは、得たとしても、すぐに壊れて消えてしまうだろう。壊して消してしまうと言ったほうが良いのかもしれない。欲というものがなくなったら、どんなに気持ち良いだろう。どんなに生活がスムーズになるだろう。だけどなくならないし、なくさなくても良い気もする。
 嫌だったら戦え。自分と戦え。戦い続けろ。負けちゃいけない。

17.08.04

良い感じ。

 午前中、写真屋さんに行き、一昨日撮影したネガの現像とプリントを頼む。出来れば今日中に仕上げて欲しいと言うと、快く引き受けてくれた。
 その後、そのままY labに行く。Yは一人で作業中。入り口脇には今日出荷する大量のニットの入った大きな段ボール箱が四つ。すげー。
 彼女と話せて本当に嬉しい。彼女が自分のことを話してくれて本当に嬉しい。僕で良ければどんどん話して欲しい。
 しかし、帰り際になって思い返してみると、彼女が喋っている間、彼女の手はちょっと止まっていたように思う。仕事の邪魔になってしまったか。手伝いたいと思っていたのに、逆のことをしてしまった。
 夕方くらいまでlabにいて、それからまた写真屋さんに行って仕上がったフィルムとプリントをもらう。それを持ってDちゃんの家へ。作業。

 帰ってきたのは日にちが変わった深夜1時過ぎ。

16.08.04

何も出来なかったはず。

 判ってはいたが、現像所は全て休みのようだ。電話をしてもどこも出ない。昨日撮影したぶん、今日出せてしまえば非常に流れとしては良いのだが、タイミングが合わなかった。一日、待ちだ。まあ、実際にはプリントが上がってくるのに更に一日かかるので、僕個人的には二日間、何も出来ないことになる。

ショウガの味。

 どなたか、ショウガの味を形容詞(出来れば一つ)で表せる奴はいらっしゃいますか。僕は「ショウガっぽい(?)」しか思い浮かびませんでした。

ケバブbar。

 何も出来ないと思っていたら、Dちゃんから電話があって、午後は仕事をすることとなった。まあ、結局ほぼ作業していたのはDちゃんだけで、僕はその間、今まで撮った写真の整理をしていたのだが。
 9時頃、小腹が空いた、外で軽く何か食べようということになった。
 昨日、今日と、イタリアは日本でいうところのお盆休み(正確には聖母被昇天祭)。とは言ってもイタリア人は実家に帰るというよりは、旅行に行く。もともと実家に住んでいる人間が多いし。この二日間、本当に町中からはイタリア人の姿が消える。目にするのは外国人ばかり。トラムやバスに乗っても9割は外国人という状況である。というわけで、店という店がほとんど閉まる。レストランもbarも閉まる。スーパーはやっているところもある。
 Dちゃんの家の近くのレストランなどもほぼ全て閉まっていたが、面白いbarを見つけたのでそこで食事することにする。なんで面白いかというと、そこはアラブ系の人達がやっているbarで、なんとコーヒーマシンの脇でケバブを作っているのだ。しかし、きちんとしたケバブ屋にある大きなケバブ機(ラム肉かなんかをぐるぐる回しながら焼く機械)ではなく、その3分の1ほどの小さなケバブ機で肉を焼いている。入り口には、「このbarではケバブ食えるよ」という張り紙。
 「ケバブ屋がbarも兼ねている」と聞くとまあおかしくはないが、ここは確実に「barがケバブ屋を兼ねている」といった様相である。味はやはり大したことがなかったが、その分安かったのでまあオッケー。
 ちなみに、ミラノにあるケバブ屋には僕の知っている範囲で3種類ある。一つはトルコケバブ、もう一つはエジプトケバブ、そしてギリシャケバブだ。まあ、ギリシャケバブはヨーグルトが入っているので他の2つとちょっと違うのだが、エジプトとトルコは何が違うのかよくわからない。ちなみに、僕の家の近くにあるのはエジプトケバブ屋だ。今日行ったところもおそらくエジプトだ。トルコケバブ屋との違いをどう見分ければ良いかというと、これはまだ確実な情報ではないのだが、エジプトケバブ屋は、ケバブを「KEBAB」と書いてあり、トルコは「KEBAP」と書いてある。トルコケバブ屋では「ケバプ」と発音しないと通じないのかもしれない。今度トルコケバブ屋を見つけたら入ってみようかと思う。あと、肉も違うはずだよな。
 それにしても、あの小さな家庭用ケバブ焼き機、一台うちに欲しいかもしれない。ケバブ食い放題なのはもちろんのこと、バーベキュー感覚で色々な肉も焼けそうだ。豚の丸焼きなんかも出来そうだ(丸ごと焼きたくないけどね)。

良いものを作ること。

 ケバブを2人で頬張りながら、Dちゃんのプライベートな話をした。とはいっても別に女の話とか、そういうのではない。将来何をしたいのか、とかそういうことだ。Dちゃんは結構なんでも出来る系の人間で、建築士2級を持っているのだが服も作る。パソコンにも強い。製本とかも出来てしまう。他にも色々出来ることはあるのだろう。しかし、まだ「俺はこれで食っていきたい」というのが決まっていない。本当にやりたいことを探し中なのだ。
 しかし、彼の話を聞いていると、彼が将来何をやることになっても、本当に良いものを作ることになるのだろうという気がした。とにかく「良いもの」が作りたいのだ。長く愛されるものを作りたいのだ。それは一緒に働いていてよくわかる。妥協というものをしない。ものすごく忍耐強い。この2つは今の僕から特に欠けている2つであり、そういう意味でも彼を尊敬する。
 今日彼とそういう話をして、彼の考えていること、思っていることを少しだけ聞けた。聞いた後、心地良かった。僕の思いなんて単なるエゴだなぁ、と思った。彼は本当に良い物作りがしたいだけで、そのために周りの力を出来るだけ発揮させる。僕の力を発揮させてくれているのだ。それに対して盾突こうと思っていた自分が恥ずかしい。頑張っていきたい。

寝過ぎは良くない。

 11時過ぎに家に帰ってくると、引っ越してきたばかりの2階の住民が、Festaをしていた。アラブ系だ。ここに引っ越してからケバブ屋に通い詰めているので、アラブ語が理解は出来ないが聞けば判るようになってしまった。これからケバブ関係でお世話になるかもしれないし、仲良くなっておいた方が良いかもしれない。
 おそらく今日はほとんどのイタリア人住人が出掛けているので、これだけ大音量でアラブ系音楽をかけて大声で歌っているのだろう。普段こんなことをしたら追い出されるのが普通である。まあ、たまには良いかもしれないが、俺が寝るまでには終わりにしてくれ。下手くそっなんだよ、歌が。

 昨夜、10時間以上寝たため、普段は眠くなるこの時間でも、まだまだ元気だ。これで今夜眠れなかったら昨夜長時間眠った意味が無くなる。いくら前の日の睡眠時間が短いとはいえ、8時間以上は寝るもんじゃない。

15.08.04

撮影。

 酒の力を借りて、3時間弱は寝ただろうか。ずっと夢を見ていたような気もするが、これだけ寝れば午前中は大丈夫だろう。これからシャワーを浴びて朦朧とした頭を覚醒させ、撮影に出掛ける。午前5時半。頭に入れておくべきなのは、秋冬のイメージで撮ること。撮影始めるとそういうの忘れちゃうん