僕が仕事を始めたお祝いにと、S氏とYさんが昼食をご馳走してくれた。ガリバルディ駅近くにある、Yさんお勧めのイタリアンレストランに行く。
S氏がミラノにいなかったら僕はどうなっていただろう。もうとっくに日本に帰っているかもしれない。何もわからずに、同じ過ちを繰り返す僕に対して、歯に衣着せぬ言い方で助言をくれるのは彼だけだ。本当に、ありがとう。僕は彼の助けになれているか。
10離れたクソガキに、ここまで親身になってくれる人間はそういない。同姓だったら尚更で、やはりこちらを23歳の人間として意識して話す。まあ、それは当然といえば当然なのだが、それが壁として見えてしまうと、こっちとしても話そうとする意志が消える。極端な話、こちらが生意気なことを言っても、まあ、まだ23だからな、ということで無言で許されてしまうのだ。許すな。「妙な寛容さ」が身に付き始める人間が多い。大人になるということは、自分の感情を半分無意識に押し殺すということか?そうやって顔が死んでいくんだ。僕は、たとえ大人じゃないと言われようが、日本に大勢いるような死んだツラした30代にはならないぞ。
まあ、自分でも勝手なこと言ってるとは思うが、僕は10離れた人間から、色々なことを盗んでやる気満々なのだ。僕の周りの人間はそれほどクオリティが高い。盗んだものを如何に噛み砕いて自分のものにするか。まあ、そこでどうしても欠けてくるのが経験なのだが。