今日はNさんちでこの前見たマタイによる福音書の映画の続きを見た。
10章34節から39節。ここはぶっちゃけ全くと言っていいほど理解できない。家族を憎めと言っている。敵対しろと言っている。キリストは、平和をもたらすために来たのではなく、敵対させるために来たと書いてある。家族と敵対する事が出来ないと俺の弟子にはなれねーぞ、と言っている。・・・これは深すぎだろう。
暗に込められた意味を読みとろうとするが、ここはもう本当にお手上げ。気持ち良いほど難解である。
Yが日本で買ってきてくれた聖書。本当に読みやすい。例えばこのマタイ10章34節から39章の部分、ルカによる福音書の12章と14章にも同じことが書いてあると、きちんと明記されている(同じ場面の事だから当然だが)。見てみると、言葉を変えて同じような事が本当に書いてあった。だけど、それ読んでもわからなかったけどね、これは。
自分の十字架背負わないと駄目だぞっていうのは何となく言いたい事わかるが(僕はそれが出来ない故に洗礼を受けていないわけだが)、それと家族と敵対する事と、どう関係があるのだろうか。そのくらいでっかいもの捨てる価値あるぞ、俺の弟子になるのはってことか?もしそうだとしても、そんな説明じゃ弟子になんてなれないぞ、僕は。ここで弟子になってる人達って、ちゃんと意味理解しているのか?これ理解するってかなり凄いぞ。そして、理解する以上に、受け入れる事はもっと難しいだろう。口で説明されてどうこうなるものではない。
やべー、せっかく早めに帰ってきたのにもう1時だ。先に帰ってきた意味がない。早よ寝よ。
投稿者 tomo : 19.08.04 00:01 | トラックバック