夕方、友人と一緒にSofia Coppolaの新作、Lost in translationを見に行った。自宅のすぐ近くの映画館でやっていたのだが、僕はここの映画館には一度も行ったことがなかった。イタリアのある新聞に、今現在上映されている映画と、どこの映画館で上映されているかが記載されており、その映画館の快適さを☆5つで表しているものがある。ここの映画館は、ミラノ中心で唯一、5つ星をもらっている。しかし、いまいち映画の選択が良くなく、来そびれていた。今回のsofia coppolaの映画が良いかどうかは知らなかったが、とりあえず見に行ってみることにした。ドアを開けてすぐ、地下に下りていく階段があり、降りきった目の前にチケット売り場があった。そこでおばあちゃんからチケットを買い、さらに左手にある階段を5段ほど下りていくと、そこには優雅なラウンジとでも言うべき空間があった。ソファがいくつも並んでいる。しかし、上映までに時間がなかったので、そこでゆっくり寛ぐ暇もなく鑑賞室に入る。スクリーンは特別大きいわけではないが、なにしろ席にゆとりがある。思いっきり足を伸ばすことが出来るほど前の座席との間にスペースがあり、1つ1つの席の幅も結構広く、肘掛けもぴったりフィットする。まあ、確かに快適といえば快適である。友人に言われるまで気が付かなかったが、ポップコーンや飲み物を売る売店がこの映画館にはない。ポップコーンを楽しみにしていた友人は悔しがっていた。夕方4時頃から始まる映画だったのだが、とにかく客の大半が老婦人であり、若者はほとんどいない。友達を誘ってきたらしいおばあちゃんグループがたくさんいて、映画が始まってもペチャクチャお喋りしていた。いつも通り、驚く場面や突っ込む場面があると、周りに遠慮などせずに声に出して驚き、突っ込む。イタリア人というのは、年齢に関係なく大人しく出来ないのだ。
肝心の映画だが、一言でいえば、愚にも付かない映画である。例えていうなら、日本を観光で訪れた、あるお金持ちの両親を持つ外国の女子高生が、「パパ、東京ってとっても面白いところね、あたし、あそこを舞台にした映画を撮ってみたいな」。それに対してその女子高生の父親は、「あぁ、面白いじゃないか、お前の好きなように撮ってごらんよ、お金のことなら心配しなくて良いからな、スタッフもパパが全部揃えてあげるからね、お前はお前の好きなようにやりなさい」などと答える。そんな感じで作ってしまった映画である。おそらく彼女は過去に日本に滞在したことがあるのではないか。その時経験し、面白いと思ったものだけを撮影しているように思われた。だから内容や出演者はかなり偏っている。東京に関しては、おそらく碌に下調べも試し撮りもせずに撮影に入ってしまったのではないだろうか。そう思わせてしまうようなカメラワークであった。撮りながら相当な自己満足に浸っていたのではないだろうか。楽しさが伝わってくる。逆に、京都でのカメラワークは東京のそれに比べて、とても慎重に撮っている感じがした。この辺りから、監督の心意気の違いが垣間みることが出来て面白い。内容は在り来たりで、特別なテクニックを駆使しているわけでもなく、撮りたいように撮っている。日本でもそのうち公開されるだろうが、あまり評判は良くないのではないだろうか。しかし、このように撮っても、日本の雰囲気はきちんと伝わってくるものだ。日本の文化や伝統を出来るだけ真実に近づけて撮りたいと思って撮っている外国人監督というのがいるが、それはそれでしっかり伝わってくる(最近だとラスト・サムライ)。裏に潜む物事も伝えようとしているから、伝わってくる。Sofia Coppolaは、目に入ったものをそのままフィルムに収めている。とにかく自分が面白いと思ったものを撮り、それを映画にして観客に見せ、「どう?日本ってこんなに面白い国なのよ」と紹介する。どちらからも日本というものが伝わってくるが、その質はとても異なっている。タルコフスキー好きの友人は「クソ映画だ」と苦笑いしていたが、僕はこういう映画が嫌いではない。こういう映画ばかりでは困ると思うが、こういう映画もたまには見てみたいと思う。
外国人の撮った日本を舞台にした映画を見ていると目がチカチカしてくる。光の色の種類が多すぎだ。サイバーテロというのか、視覚攻撃されている気がする。ビーム光線。
藤井君の異常なテンションに、周りでそれまでお喋りしていたイタリア人が全員絶句した。まあ、いきなりあれを見せられたら藤井君を知らない人なら誰でも言葉を失うだろう。狂ってるとしか言い様がない。僕らは二人で大笑いしてしまったが。hiromixがいたな。前に比べていくらかふっくらしたのではないだろうか。