おそらく3年ほど振りだったろうか、浅川にある父方の実家へ、結婚の挨拶のために伺った。数ヶ月前にアルツハイマーに罹ったと聞いていた祖母と、父親の兄夫婦が玄関で迎えてくれたが、いつもなら「朋ちゃんおひさしぶり」と言って迎えてくれていた祖母は「わざわざおつかれさんです」としか言わなかった。数十年一緒に暮らしていた従兄弟のことも覚えていないようなので、僕のことを覚えていなくても無理はないと思っていたが、実際に忘れられてしまうと寂しくなる。なぜか一緒にいた僕の妹のことは覚えていたようで、ほっとするような、嫉妬するような感情になる。
当然だが、祖母は数年前に比べてさらに小さくなっており、染めていた頭髪も今はすべて白髪のままで、艶々したそれを美しいと感じる。
叔母が人数分のお茶を入れてくれたが、一つだけ白湯の入った湯呑みがあり、それを祖母の前に置いた。あれ、と思い祖母にお茶は飲まないのかと聞くと、嫌いだと言う。怪訝な顔をした僕の顔を見て、叔父が説明してくれた。普段お茶を飲んでいたことを忘れているらしい。「飲んだこともないものを嫌いだなんておかしいね」と言いながら白湯をすする。
アルツハイマーと聞いて、もう少し刺々しくなっているかと思っていたが、今の祖母は昔よりも穏やかな顔をしていた。こちらとしてはそれを救いだと感じるが、一緒に暮らしている叔父夫婦は大変なようで、仏壇にもマッチを置いていない。
おやきやりんごなど、大量のお土産をもらってそろそろお暇しますと言うと、玄関の外まで送りに出てきてくれた。何かの拍子にまた僕のことを思い出すということはあるのだろうか。
ベトナムに行ってきた。自発的にではなく、ベトナム好きの母親の旅行に乗っかっただけですが。東南アジアには昔から興味があって、東南アジアといえばタイでしょう、と思っていたのだが、もしかしたらラオスとかカンボジアのほうが僕の期待するものが残っているのかもしれない。ベトナムはイメージ的にタイとカンボジアの中間か。まあ何を根拠に言っているわけでもないんだけど。まあ、いずれイタリアみたいな観光大国の二の舞になること必至な感じ(こちらにチップを求めてきて、それを断ったら舌打ちしてくる、みたいなことになったらもう終わり)。あと、カメラを向けたときに興味深げな顔をするか、向こう向いてしまうか。
母親が既にホーチミンとハノイには行ったというので、ホイアンという中部の町と、ハノイ近くのタムコックという村に行く。どちらもド田舎で、田舎なりの良さというのはあるのだが、やはり撮っていて面白いと感じるのは都会である。というか、ネタの宝庫である。田舎に比べるとやはり人々に余裕がない感じがするが、それでも先進国の人々に比べるとまだまだ無邪気な感じである。物価も安いし食べ物もとても美味しいし、治安もイタリアなんかに比べるとまだまだ良いので、早いうちにハノイとホーチミンに時間をかけて滞在したいところである。
フランス人とアメリカ人、そして韓国人の観光客が特に多いという。日本人もそうであろう。ベトナムに対して、決して良いとは言えない行いをしてきた国の人間が、その国に観光客として訪れるというのは、どのような動機からなのだろう。
]]> 一眼での撮影があった後に車を運転するのはなかなか怖い。ファインダーを覗く右目に目力を入れすぎているせいもあるのだろうが、撮影後1,2時間は顕著に視力が落ちる。というか、おそらく右目の視力だけが落ちるので、距離感が掴みにくくなり、前を走る車に追突しそうになることがある。集中力もかなり落ちていて、運転中にボーっとすることもある。
鏡に映る、一眼を構える自分を撮ることがあるが、眉間に皺が寄りすぎで、それほど力が入っていることが伺える。もっとリラックスして撮影できたら良いのだが。もしくは左目でもファインダーを覗く訓練をしたほうが良いか。カメラってそんなふうにはできてないとは思うが。
時々、両目を開けながら撮影している人がいるが、慣れればあっちのほうが便利だったりするのだろうか。もしくは、液晶(?)を見ながらの撮影か。まあ、一眼でそれやっても全然撮ってる気がしないけれども。